おじさんと呼ばないで。

写真 Pexels.com

5年も古墳の丘に通っていると、丘に登ってくる人たちの顔ぶれもすっかり変わっている。新しい人が現われてはいつしか消え、また新しい顔に出会う。5年もずっと変わらずにきている人は少ない。けれど、犬の散歩で、夕方に丘まで登ってくる人とは毎日会うわけで、顔なじみになる。

猫に餌をやっているとき、立ち話で飼い主さんと話をしているのだが、そのあいだ、犬は猫餌の匂いに鼻を鳴らし、我慢を強いられる。分けてやりたいのだが、癖になるからと飼い主さんに言われて、こちらも我慢。

丘の上ではなく、坂道の途中で会う時には、犬たちを撫でてやる。それで、二匹の犬のコンビの飼い主さんたちとは、よく話をする。けっこう辛辣なことも言うので、おもしろい。

ウォーキングをしにやってくる人たちは、さまざま。笑顔で話しかけてくる人もいれば、むっつりと睨むような目つきで行きすぎる人もいる。そして、まるでそこには誰もいないように視線を動かさないまま足早に通り過ぎる人も。猫に餌をやりながら、通り過ぎる人たちが持つ、さまざまな空気を感じることになる。

このところ、ちょっと面白いなあと思う人が現れて退屈しなくなった。とても明るくて話し好きな年配の男性で、あとからゆっくりとやってくる奥さんを待ちながら話をするようになった。そして、当然、犬の散歩とウォーキングを兼ねて毎日やってくる二人連れの飼い主さんたちとも顔をあわせ、話をすることになる。

で、私はチビに餌をやったりブラッシングをしたりしながら、彼らの話をなんとなく聞いている。犬の飼い主さんの一人が、その男性に、「おじさん・・・」、「おじさん・・・」と話しかけていたときのことだ。内容はごくありきたりな話なのだが、その男性は、犬を連れている女性に、「なあ、おじさん、おじさん、て言ってるけど、おたくはいくつなのかい?」と質問。

すると女性は、67歳だと答え、すかさず、男性は、「じゃあ、おれとたいして変わんないじゃん。ちいっとばかし、おれのほうが上だけどよ」ときりかえした。

するとその女性、「じゃあ、なんていえばいいのよ、まさかおにいさん?」といって笑った。
「そうだよ、おにいさんだろ」と男性。
「だって、おれ、女の人には、おねえさんていうよ。そういうもんだろ」と続ける。

ええっ? といって笑い声をたてて、犬連れの女性たちは坂道を降りて行った。すると、その男性は私に小さな声で、「なあ、あの人たちだって相当なおばさんだよな。なのに、おれのこと、おじさん、おじさんて、おかしいよな」。
そのうちに彼の奥さんがやってきて、二人はいつものように連れだって、あづま屋のほうへ・・・。

二人の後ろ姿をみながら、私も、ふっと気づかされたことがある。おばさんと呼ばれるようになって久しい。商店に入ったときには、はい、そこのおかあさん、と呼ばれたりもする。そういうことに、なんの抵抗を感じなくなっている。そのうちに、そこのお婆さんと呼ばれるようになり、そのことにもすっかり慣れていくんだろうなあと。

上昇気流に乗っていた年代をすぎてしまうと、抗うよりは楽なほうへと意識も体も向かっていく。で、ほんのたまに、おねえさんと呼ばれると気恥ずかしくなるのだが、どこかでちょっとうれしくもある。おじさんと呼ばないでほしいよ、と言った男性の気持がわかる。

男性は、その心意気のためか、毎日、池のまわりだけでなく、いろんなルートを歩き、丘の上までやってくるのだという。話もおもしろいし、肌の色つやもいい。体力と気力を保つ努力をしている彼は、たしかに、おじさんというよりは、おにいさんだ。

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