幻想的な夜

442年ぶりだなんて、メディアがはしゃいでいる満月の皆既ショー。
ふうん、という感じで冷めていたけれど、いざ、その夜となった昨夕、やっぱりそわそわしだして、暗い中を懐中電灯を手に古墳の丘まで登って、月を眺めることにした。

当然、途中の坂道は真っ暗。夫と二人の懐中電灯の輪が闇に揺れる。
出会う人もないまま上までのぼると、下には藤枝の市街地の明かりが散らばっていて、ぼうっと空を照らして意外にも明るい。

けれども、月がしだいに地球の影に隠れていくにしたがって、あたりはしだいに暗くなる。
かさこそと枯葉が転げる音がするたびに、後ろを振り返り、胸をなでおろす。
こんなところに、チビとまる子は5年以上も暮らしていたのだと思うと、いまさらながら、胸が痛くなる。

やがて、月蝕が始まった。まだ誰もきていない、静寂のなかで。
惑星蝕は442年ぶりということ、つぎは300年以上もたってからということ、そういうことを考えると、月のそばにあるはずの惑星は肉眼では見えないが、やっぱりこれってすごいことじゃないかという気になってきた。

月が地球の陰に隠れていくにつれて、あたりはどんどん暗くなる。
あとからやってきた人が隣りのベンチに座り、話しかけてくるが、顔もさっぱりみえないほど。

月蝕は、一時間ちょっとで終わった。
やはり、メインの天王星蝕は見ることができなかったが、しばらくは呆然として眺めていた。
こんな秋の夜、こんなところにいて、めったに見られない現象を眺めていることが、なんだか奇跡のようにも思えてくる。

月蝕が終わり、また満ちていくまでには、一時間半ほどかかるといいうので家に帰ることにした。
隣りに坐った中年の女性は、一人でこの暗闇の中、坂道を登ってきたという。
なので、帰りの道中を誘ってみたが、気持がいいから、まだしばらくはこうしていたい、とおっしやる。

度胸があるなあと思いつつ、先に帰ることにした。
坂道を降りて行くと、何人かの人たちが坂道を登ってくるのに出会った。
帰り道にビールを買い、家に帰ってベランダにテーブルと椅子を出し、今度は満ちていく月を眺めることにした。

そばで、ミーナが、いったい何ごとなのよ、という顔つきでまわりをうろうろしている。
442年前といえば、室町時代か。
庶民は、どんな暮らしをしながらこんな月を眺めていたんだろうなあ。
そう思いながらベランダでの鑑賞は終わった。

居間に降りて、まだこちらが幻想の余韻に浸っているときにも、ミーナはハエを追いかけて、はっと現実へと帰ることとなり、今宵のショーはおしまいとなりました。

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