トモダチ

最近のまる子は、YouTubeに夢中なんだそうな。金魚やネズミが出てくる動画をみては不思議がって、携帯の下を探したり、ひっくり返したりしているそう。猫が動画に夢中になるなんて・・・? 動画がトモダチ? すごい時代になった。

人間の暮らしに慣れてきたまる子は、普通のオモチャにはあきたらなくなったのか? これからは、まる子の遊び相手はスマホになってしまうのか? まる子にこんな事態が訪れるなんて、考えもつかなかった。

もしも三毛子なら、どんな反応を示すだろう。爪で引っ掻いて壊してしまうかもしれないから、やめとこう。

自分はまだスマホに変えたばかり。あまりわからないままにあちこちいじっていると、以前に連絡をやりとりしていた人たちの電話番号やトモダチ登録など、いろいろ出てきて、なんとなく懐かしい思いで眺めている。

ある人は退職してから、オートバイに乗ってあちこち走っているといっていた。ある人は、孫たちに囲まれて忙しくしているとか。

自分なんて、どうせ軽くあしらわれる存在だからトモダチなんて、とそう思っていた時期もあって、たまに、向こうからトモダチになれそうね、と言われても、失うのが怖くて初めから避けてしまったなんてこともある。だが、このごろはやっぱりトモダチっていいもんだなあと感じることがふえた。

というよりも、学ばせてもらうことが多くなったというほうがあたっているかもしれない。おんなじものをみても体験しても、人はそれぞれ見方も違うし、感じ方も違う。だから、へえっと驚くことも多い。いまさら? って感じもするけれど。

ああそうなんだ、こんなふうに感じるんだ、この人。というふうに、新鮮な見方に出会うと、みょうにその日は実りが多かった気がしてうれしくなる。

トモダチというのは相手があって初めて成立するのだけれど、べつに勝手に自分でトモダチだって思っているのもいいんじゃないかなあと、考えるようになってからは、自分の一方的なのも含めると、トモダチがふえた。

あまり真剣すぎるとお互いにくたびれるから、どこか、うまがあうなあとか、話がおもしろいとか、なんでもいいから、いいところをみていると、ふふふ、この人、けっこうおもしろいじゃんと思う。そう思ったら、めっけもんだ。

猫にもそれぞれ性格があって、毛の色模様も体型もさまざまで、そんなところは人間と似ている。同じ環境で暮らす公園の猫たちも猫ごとに個性があって、縄張り意識がある猫は、たがいになかなかトモダチにはなれないようである。近所の猫たちにもバトルがあって、どういうわけか三毛子は狙われやすく、気がもめる。

人にも縄張り意識が強い人がいるらしく、新しいトモダチはいらないのよ、と直裁に言われたこともあったが、自分は古いトモダチも好きだし、新しいトモダチも好きだ。トモダチといえるレベルかどうかはわからないが、楽しい時間を共有できれば、その人とはもうトモダチだと、勝手に思うことにしている。

またまた屋根に出て、物置に飛び降り、ドヤ顔の三毛子

先日、大雨の日に、そんな日には誰も来ないはずなのに、初老の男性が一人やってきて、たがいに、東屋で雨宿りをし、チビに餌をやりながら、さまざまな話をした。旅が好きでいろんなところを旅行したそうで、そんな話になった。

話を聞いていると、その人の人生をちらちらと覗かせてもらっているようだった。ゆきずりのような相手から、旅先の情景を聞き、行ったこともない場所に思いを巡らし、こんなふうに見知らぬ人と交錯する時間もいいなあと思いながら帰ってきた。

ある日の東屋

だって、その人のレンズで見た風景は、もうその人のものだから、ごちそうをちょっとお裾分けをしてもらった気分になった。それにしても、猫に関わるようになってから、旅もできなくなったなあ・・・。

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