ある瞬間、あたりがモノクロームの世界に変わるときがある。
足が止まり、時間が止まり、体から力が抜けてしまう。
東京の街にクリスマスソングが流れるころのことだった。
通りは、金銀赤と華やかな色にあふれていた。
買い物袋をさげた人々の足取りも弾んでいる。
そんな中、その二人も、イブを楽しく過ごそうと思っていた。

二人はコンコース沿いの店に入り、まずはコーヒーでも飲みながら、これからの時間をどう過ごそうかと話を始めた。
ところが話はまとまらず、不機嫌になった男は急に席を立ち、足早に店を出て行った。
だってクリスマスイブだもの。まさかこのまま私を置き去りにしないだろう。彼女はそう考えた。
こんなことは初めてじゃないんだし。それでしばらくしてから店を出て、いつもの所へ行った。
そこはコンコースから枝分かれしている道で、その、ちょっと奥まった場所が、いつもの待ち合わせ場所。
きっとそこで彼は待っていてくれるはずだ。こんな些細なことでどうにかなるはずがない。

けれども、そこには誰もいなかった。地上へ続く階段をみあげると、足早に行き過ぎる人々の脚だけがみえた。
階段をかけあがる。彼は駐車場の車の中かもしれない。
車を停める場所はいつもきまっている。
きっとそこで待っていてくれるはず。
だが、見慣れた彼の車はなかった。空の車が延々と続いていた。

さあーっと、彼女のまわりから色が消えた。音も引いていった。寒々として、脚が震えた。
あたしったら、こんな日に、こんなところで何をしてるんだろう。
今度こそきっぱりするのだ。自分に言い聞かせ、彼女は駅への道を歩き出した。
年が明け、色の消えた街から逃げ出すようにして郷里に帰った彼女は、なにも感じない季節をいくつも過ごした。
帰ってから三年が過ぎるころ、ときどき散歩に行く公園の藤が咲いているのをみあげ、手を伸ばした。
子供の頃から歩き慣れている公園なのに、色や匂いをこんなにも強く感じたのは初めてのような気がした。

すると、そばにある植え込みのそばで猫の鳴く声がした。近づいてみると、まだ小さくて生まれて半年もたっているだろうかというところ。
また猫が捨てられている。そういうところは子供の頃と変わってないな。
彼女は猫をみつめ、ふりきるようにして駐車場に向かって歩き出す。すると、すでに日が暮れかけた道で、猫はかぼそい声をあげながらついてきた。

彼女は何度もふりかえる。藤棚の花がぼうっと白く浮かび上がっていた。
そしてついに、猫を抱き上げる。
そのまま車に乗せて家へ向かった。
「ただいま」と言って猫を玄関のあがりかまちに置くと、猫はくんくんと匂いをかぎながら奥へと歩き出した。
「遅かったなあ」と、夫が廊下の奥の部屋でパソコンに向かっている顔をあげた。
半年ほど前に、流されるようにして結婚した夫は、穏やかな性格だった。

「ねえ、猫、連れてきちゃった」
このアパートでは、ペットは飼えないことになっていた。
「よし、じゃあがんばって、こいつを飼える家をなんとかしなくちゃな。名前、どうするか」
夫は、しきりにか細い声をあげている猫に近づいてしゃがんだ。
「うん、藤のそばにいたから、ふじ子」
「それってさあ、なんか、ルパン三世に出てくる不二子みたいじゃん」
と言いながら、夫はナイスボディの不二子の形を手で描く。
明りがともる小さな部屋に笑い声が響き、ふじ子は、夫の脚にしがみついた。
