あなたは、タメコミ(溜めこみ)アンですか? それとも、ダンシャリ(断捨離)アンですか?
そう訊かれたら自分は、ダンシャリアンだと答えるだろう。だからといって、家の中がいつもきれいだとはいえないのが残念だけれど。
部屋のありようは、心をあらわすものだという。それでときおり一気に片付け、不用品は片っ端から捨ててきたのだが、でも、やはり暮らしていれば部屋は散らかる。あたりまえのことだけれど、毎日片づけ、毎日掃除をしていなければ部屋をきれいに保つなんてことはできないのだ。
だが、本を読んだりなにか書いたり、好きなことをしていると夢中になり、ほかに眼がいかなくなる性格の自分には簡単にできることではない。食事の支度だけで精一杯ということもよくある。
だったら、毎日しなくてもいいんじゃないかということにした。要するに、ズボラなのだ。そして、定期的にやる。そのほうが性にあっている。
だから、定期的にやる日の直前などに誰かが突然にくると、とんでもないことになる。いつもこんなふうに散らかっているのね、ということなる。いえ、明日はちゃんとする日なんです、と言いたいところだが、言い訳にしか聞こえないだろうと思うと、言えない。
そのうえ、昼頃になってもパジャマ姿のままということもあって、散らかっているのとパジャマ姿が重なり、さらには顔も洗っていないという惨状になり、しかも、そういうときに限って、けっこう大切な用事で玄関に出ないわけにはいかなかったりもする。
隣りをみると夫もパジャマということもあり、どっちが出るかと言い合いになり、たいていは、自分が出ることになる。そばで三毛子は、あたふたしている私たちをみて、二人でなにしてんのよ、という顔をしている。人間なら、とっくに怒っているだろう。だからあ、ちゃんとしてなさいよって言ってるでしょって。
これって、子供が小さい時にさんざん言い放った言葉だった。自分に返ってきて、今では猫に言われている気分。
そこで考えついたのが、「猫が、外に出ると困るので部屋に閉じ込めてからドアを開けますから、しばらく待っててくださいね」という言い訳だ。
事実、三毛子のすばやい動きをあなどってはいけない。外に出さない暮らしをさせてからもう4カ月以上になるというのに、いまだに、戸の開け閉めにすばやく反応し、気がつくともう足許にいてギョッとする。
コロナ禍の前の話だが、野良猫を数匹まとめて保護した方が、ランチやお茶などに誘われると、猫のことを言い訳にして参加しなくなったと言っていた。「だってね、行っても楽しくない集まりも多いし、なにより時間とお金の無駄でしょ。それなら、猫のことに使ったほうがいいし。おかげで余分な付き合いが整理できたのよ」
猫に助けられることは多いのだ。だからせめて、朝起きたら、ニャッと鳴いて寄ってくる三毛子に、今日一日を楽しくしようね、と言葉に出してみることにする。そうして、すぐに、活動を開始する。好きなことに集中するのは、そのあとにしよう。