きょうは風が強くて、満開ではない桜の木々から花びらが降ってくる。
まだ育ちきらない子らが、親の手から離れるようにして。
今年の桜は見事なんです。古墳の丘までのぼると、また、別の景色が広がっているし。
昨年の今頃は、チビとまる子はまだ古墳の上で無邪気に遊んでいた。
今年もまた桜が咲いて、そこにチビとまる子の姿がないことを、犬を連れた年配の男性が、「半分うれしくて、半分さびしいよね」と言う。チビとまる子の世話をしていたころに、毎日のようにここで顔をあわせていた方だ。
たしかに古墳の丘は、二匹の姿がないことで、ずいぶんあっけらかんとした風景に変わった。
風が吹き抜け、桜の花びらを私の上に降らせる。でもなにより、チビとまる子が安心して眠れることがいい。
今日は、大きな犬を連れた親子が古墳の上で一緒に桜を眺めていた。
話を聞くと、飼育放棄をされたグレートデンという大きな犬を一月ほど前に引き取ったのだという。
痩せこけて今にも死にそうになっていたところをようやく保護したそうで、ご自身も動物看護士をしているという。
「よかったねえ、君はとっても幸運だったね」
そう言って頭を撫でてやると、とても大きな犬は嬉しそうにシッポを振り、顔を寄せてきた。
春は、半分うれしくて半分さびしいことが、とても多い季節なんだよなあ。あのおじさまは、とてもいいことを言うなあ。
チビまる子の面倒をみていたころ、よかったことの一つは、こんなふうにいろんな方にいろんなことを語りかけてもらったことだった。
まだ静岡という土地にそれほど馴染んではいなかった頃に、チビまる子をみては言葉をかけてきてくれた人たち。どうということのない会話の中に、きらりと光る言葉がいっぱいあって、それが胸の中に灯り、先の見えない不安や絶望感が和らいだ。ほんと、チビまる子を助けてやったのではなくて、こっちが助けてもらったのです。
坂を下り、アズキのいるところを覗きに行くと、設置したハウスにちゃんと入ってくれていた。
うつらうつら、気持ちよさげに寝てるので、そのままそっと・・・。
よかったなあ、こんなに人が多い日でも安心して眠ることができる。
出口にさしかかると、抱っこされて散歩をしている猫に出会った。
おおっ、こちらはまたなんと毛並みのいい猫だろう。
そういえば、前々回のブログでとりあげた歌舞伎町猫の「たにゃ」さんは、居場所に藁を敷いてもらい、ごちそうが続いて太ったようですよ。顔つきもずいぶんと優しくなって。twitter.com/@kabukinoraneko
三毛子もちょっとふっくらしちゃいました。
みんなみんな、生を全うできるように。彼の地の戦争も早く終わりますように。