手のかかる子ほどかわいい?

噴火しているようにみえる富士

いろんな意味で、三毛子にはずいぶんと楽しませてもらっている。猫がこんなに知恵者だとは知らなんだ。つぎからつぎへといろんなことをしでかして、驚かされたり笑わせられたり、嘆かされたりしている。

ベランダから隣りの家の屋根に飛び移るのでフェンスを張ったが、それでもまた飛び移っているのを発見。それで今度はよじ登れないように網を張った。いやはや、ものすごいジャンプ力。隣りの猫は二匹とも、フェンスにさえ乗らないというのに。

だが、三毛子がきてからラッキーなこともいくつかある。昨年などは、夫が心臓のカテーテル手術の2回目を控えていたのだが、ちょうどその頃に三毛子を保護し、てんやわんやに。

そのうちに、なぜだか夫の不整脈が落ち着いていた。それで結局、手術はのびのびになり、再検査をしたら、異常がなくなっていた。不思議なことだ。今では、薬も飲まなくてもすむようになった。家の中に動くものがいると、暮らしが活気づいてくる。猫につられて、知らず知らずコミュニケーション下手な夫婦にも会話が生まれる。

三毛子の脚はさすがiにたくましい!

コロナのせいで家にいる時間がふえて、ペットショップの犬猫が売れているというのもわかる。でも、そうするのなら、保護猫や保護犬を迎えてほしいなあと思う。大変だが、それだけかわいさも生まれてくる。その子の生い立ちやそれまでの環境など、いろいろ想像してその子をみるようになると、愛情もさらに深まってくるというもの。

まる子も、古墳の丘にいた頃のことを思うと、きっとそれだけでいとおしくなるだろうな。

まる子は、アイドル路線まっしぐら。(里親さんの写真)

三毛子は、初めは絶望的な状況だった。それが、少しずつ少しずつ、行きつ戻りつしながら、半年ほどすると触れられるようになった。そうして、三毛子は不器用ながらも親しみを表現するようになった。そうかと思うと、相変わらずいたずらや悪さをする。日によってくるくる変わる。一筋縄でいかないところがまたおもしろい。

ただ単純にかわいいだけではすまない何かがあって、それが三毛子の魅力だ。昔猫のプリンとマロンのきょうだい猫も、道端に捨てられていたのを保護して最後まで面倒をみたが、まだ生まれたばかりの子たちだったから、とても素直に育ち、おとなしかった。

猫を飼うときの大変さを聞いたり眼にしたりするたびに、プリンとマロンとの違いに驚いたものだが、三毛子はやっぱり噂どおりで、とてもワイルド。でも今は私がパソコンに向かっていると、そばをうろうろしたり、座っている椅子に乗っかってきたり、テレビの前にいると膝に頭を寄せてきて眠ったりし、諦めが希望に変わってきた。

よく、手のかかる子供ほどかわいいというが、猫もそうなのかもしれない。つぎつぎといろんなことをしでかしては驚かせ、対策を考えさせる。なかなかのんびりとはさせてはくれないが、そのかわりのように、ラッキーも運んできてくれる。

紫は、ラッキー色

手がかかるといえば、チビもそう。古墳の丘から崖のほうに移動して、そのまま居ついてしまった。元の古墳のある場所で、きっとなにかあったんだろうと思うのだが、そこに誘導しようとしてもなかなかうまくいかない。それでもう、チビの思うようにさせることにした。きっと、チビにはチビなりのわけがあってのことだろう。

この木、なんの木、気になる木。このところ、チビがそばに寄って行く木だ。幹がものすごく太くて、精霊が宿っているような木だ。腕を回してみたが、半分もいくかどうかというほどだ。幹に頭をあててお願いした。どうか、チビを守ってね。

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