彼女の足跡

彼女は家族の中で、一人だけ違う世界にいた。知能に障害があって、片隅にいるような存在。
なのに、いつもにこにこして、近所の子供たちに笑われたりからかわれたりしても、やっぱり笑っていた。
だから、彼女をいじりたい近所の子供たちもすぐに飽きてしまい、それ以上のことはしなかった。

彼女はそれでも、近所の人や子供たちが好きで、高台にある家の門口で車や歩く人たちを、ひがな一日、眺めていた。
私が学校から帰る時間にも彼女は、やっぱり立っていた。それを見て私はうつむき、みんなから遅れて一人歩くようになった。

「ほら、今日もやっぱりいるいる。あいつはこれだからな。いつもああしてあすこに立って、一日中、道を通る人を眺めてるんだ」
男の子たちは頭の上で指をくるくる回しながら、いつも彼女のことを指さしては笑った。なのに、私は彼らになにも言えなかった。彼女を庇って抗議することもなかった。

それでも、彼女と一番遊んだのはたぶん、家族の中では私だったろう。門口に立っている彼女は、県道から坂道を上って学校から帰ってくる私をみると寄ってきて、私がカバンを縁側に置くと、いつものように隣りに座る。

「今日は、なにして遊ぶか?」と、私は足をぶらぶらさせながら彼女の顔を覗き込む。
「あれだべ」と彼女がにやにやする。
「あれか」しかたなく私は縁側の上に立つ。

あれというのは、芝居ごっこ。縁側を舞台に見立てて、私がなにやら芝居じみたことをし、彼女が観客になるのだ。私が適当にしゃべり、適当に踊り、適当に動き回る。ちっとも面白いはずはないのに、いつも彼女は手を叩いて面白がってくれるから、やめるわけにもいかない。

お腹がすくと二人して畑に行って、イチゴやリンゴ、ナシなど、季節の果物をとっては食べた。
彼女の仕事は夕方に畑に立って見張りをし、リンゴ泥棒がきたら家のものに教えることだったのに、あまり役には立たなかった。というのも、彼女は人を疑うことを知らないからだ。

冬になって雪が積もるころになると、私は朝寝坊のくせに、新雪の朝だけは早く起きて、一面の銀世界に自分の足跡をつけて、なるべくきれいな形を作る。すると彼女もすぐに私のあとを追ってきて、私がきれいな形を作ったばかりところをわざと歩く。しかも、滅茶苦茶に。で、私ができるだけ整然とつけた形はたちまち崩れてしまう。

selective focus of white snowflakes
Photo on Pexels.com

そのぐちゃぐちゃになった足跡をみて、私は溜息をつく。そして二人で大笑い。吸う息の冷たさや、かじかむ指の感覚も忘れて二人で走り回り、境界がなくなった広い雪原に自由に足跡をつけて回った。

家の中の空気が沈んでいるときに、彼女のちょっとした行動が、一瞬にして場の雰囲気を和らげることもあった。みなの固い顔が緩むのだ。

私の伯母である彼女は、今は施設に入っている。年月がたつにつれて、雪上の足跡の記憶は鮮やかになる。友達があまりいなかった私にとって、彼女は誰よりも心を許せる相手だった。照れたように笑うその顔を思いだすとき、心にぽっと温かくなる。

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