なんだか、気分があがらないときがある。そんなときには、もう、やあめた、って感じで、今していることを放りだす。そうして、べつになんの特徴もない庭を眺める。3年半前に越してきたときには、土と雑草だけの庭だった。美しく花が咲き誇る庭など、とても考えられないような。
そのうえ、夏はいいが、日が傾く冬は日当たりが悪い。それで畑を作るのは諦めた。ときどき雑草を抜くぐらいでほったらかしの、モチベーションだだ下がりの庭だった。だが、そのうちに、根元から切られ、枯れたようにみえた木から芽が出てきたり、あちこちに苔が生えたりしてくるのをみて、ちょっとじんときた。せめてそれらをだいじにしようと気にかけているうちに、芽は少しずつ大きくなり、苔はグランドカバーになってきたというわけである。
切り株からひょいと小さな木の芽が出る。そして、そのまわりの小さな小さな苔たちがぐいと首を伸ばす。ふたたびの命を取り戻そうとする。そこを猫たちが歩く。なんだか、苔がふわふわして気持がいいらしいのだ。
隣家のモモもここを通り道にしていて、ときおりこんなふうに、覗いている。それをみて、三毛子が追いかけていく。そんな情景をみているうちに、気持がふっと緩んでモチベーションもあがってくる。世話をしているはずの自分が、世話を受けているはずの猫や植物から恩恵を受ける。
モモは、「三毛子ちゃんいる?」という感じで、庭に向いた窓に顔を近づけてきたり、庭を行ったりきたりする。しぐさがかわいい猫である。
そんなふうに、なにもない庭にやってくる生き物たちを眺めながら、ときどき思いだす言葉がある。アドラーは、自己啓発の数々の名言で有名な人だ。
◎「暗い」のではなく、「優しい」のだ。「のろま」ではなく、「ていねいなのだ」。「失敗ばかり」ではなく、「たくさんのチャレンジをしている」のだ。
◎もっとも、重要な問いは「どこから」ではなくて「どこへ」である。
◎できない自分を責めているかぎり、永遠に幸せにはなれないだろう。今の自分を認める勇気を持つものだけが、本当に強い人間になれるのだ。
などなど。モチベーションがさがったときには、こんなふうな言葉が胸に響いてくる。すると、なんとなくまた、一度放り出したことを始めたくなってくる。
丘の上から見慣れているはずの富士山は、ときおり、どきりとするような崇高な姿をみせる。奇跡のような美しさをちらりと見せては、またすぐに姿を隠してしまう。そんな、人たらしの富士を撮ろうとしてうろうろする人の姿を横目に、猫たちはそれぞれのペースで食事のあとのくつろぎ。こいつ、なにやってんだか、という顔で。
そして、本日のキツツキさんは、ちょっとコミカルだった。キツツキはとてもきれい好きで、巣の中をよく掃除するのだそうで、中にある木屑などを外に放り出すようだ。たぶん、顔にくっついているのは木屑だろう。木屑のついた顔をひょいと覗かせて、あたりを見回していた。ちょっと目つきがいつもよりも険しいのはくたびれたせいなのかな、キツツキくん。(正式にはコゲラというそうだ)
先日、友達が送ってくれた写真には、青ゲラがあった。こちらの穴の開け方は、少々雑な感じがする。青ゲラさんのモチベーションがよくなかったのか?