彼女は、ベランダに置いてある椅子の向かい側で、ちょっと小首をかしげて私に言った。
「それは、苦しかったでしょう」と。
しばらく低調だった私が、ようやく外に出る気になって近所を歩いているときに、彼女をみかけて庭に誘われ、話をしたときのことだ。
昨日は空も晴れて気持のいい日。
午前中は、気分を変えるために島田の大樹の森があるところへでかけ、ダークになっていた心を深い緑に委ね、少し元気を取り戻して帰ってきたところだった。
その勢いで、ひさしぶりに近所を散歩していたのだったが、花の植え替えをしていた彼女をみかけて声をかけたのだ。
そうして、数日前に私を襲った出来事を話すことになった。
その出来事は、突然にやってきた。
長年、見守ってきた公園猫のアズキの保護のことで、リーダーとの考えに違いがあった。
私は単に意見の違いだと思っていたが、それをきっかけにして、いきなり連絡がとれなくなった。
電話をしても出ないし、ラインを送っても既読にならない。
完全無視、問答無用の状態が続いた。
それほどのことをされる理由がわからず、呆然とした。
たとえ、何があったとしても、せめて説明くらいはするものだろう。
話をする価値もないというのか。
なにがなんだかわからないまま、数日間は、スマホばかり見ていた。
そして、ようやく何日かして、グループラインに、これからの方針と餌やりのメンバーの名前が並んでいたが、そこに私の名前はなかったし、それが当然のように私あての連絡は、ついにないままだった。
自分はそろそろ潮時かなあと思っていたところだったから、ちょうどよかったのかもしれない。
そう考えることにしたが、みんな仲間だと思ってきたから、無視をされっぱなしの疎外感は厳しかった。
会の発足のとき、私はさまざまなことを一人でこなしてきた。
ひとりひとりに声をかけて会員になってもらい、チラシを作ったり、いろんな人に寄付の呼びかけをした。
寄付のための口座作りは、大手の銀行はマネーロンダリングの審査でなかなか難しいなか信用金庫でなんとか作ることができた。
年度変わりで市役所の体制が変わるときには、会の存在が危ぶまれたので、X(ツイッター)上での寄付の呼びかけもした。
それらが落ち着いてきて、気づくとこんなことになってしまうとは。
経験もキャリアも豊富なリーダーの言うことに、現場のものは、黙って従っていればいいというのだろうか。
自分は、余計な口出しをしてしまったのだろうか。
ここ数日、ぐるぐると自問自答を繰り返していたことを、美しい庭の主に話してみたら、庭の主の彼女は、「それは苦しかったでしょう」と静かに言った。
すると、その言葉は、渇ききっていた砂に浸みていく水のように、私に沁み入った。
すうっと気持が楽になって、彼女の共感が私を満たしていった。
ただ共感してくれる。こちらの苦しさを感じてくれる。
それだけで、人は救われることを知った。
自分も、ほかの人にそんなふうに接してやれるかしら。
そんなことを思いながらの帰り道、足許がふっと明るくなった。
やっぱり、そろそろ潮時だよな。
明日からはまた、笑えるように暮らそう。
それが私のリベンジだ。