ジェラシー

ラナンキュラス      写真 Kさん

人の嫉妬は、夜明けがこない闇のよう。けれど、猫のヤキモチはわかりやすい。そして、かわいい。
昔猫の黒猫プリンは、私が隣りの家のラブラドール犬を回覧板を持って行ったときなどに撫でていると、物陰からそっとみていて、早く帰ってきてよう、という顔をした。

その様子がとてもかわいくて、それを見たさに犬を撫でていることもあった。
そして帰ったら、思いきりプリンをかわいがってやった。

curious cat peeking out of bathtub

一緒に保護したきょうだい猫のマロンはイケメンで、マロンと一緒でなければ、誰も拾ってはくれないだろうと思うような黒猫は、どれほど私を救ってくれたか測りしれない。

【上がマロン、下がプリン】


柔和な性格のプリンは、私が落ち込んでいるときにもそうっとそばにきて寄り添ってくれ、甘えん坊のマロンの母親のような存在になった。よく鳥やらモグラやら捕まえてきて、困らせたけれど。

【シジュウカラくん、落ち込んでるの?】        写真、Kさん

古墳の丘にいたチビは、人気者のまる子のかげで、いつもひっそりとマイペースを保っていた。地味な自分の立場を受け入れてでもいるようなそぶり。

餌を食べるのも、いつもまる子が速く、チビがゆっくり食べていると、食べ終えたまる子がチビの分まで食べに行く。それでもチビは怒らずにあとずさり、じっとみていた。

チビがまる子に対してやきもちを焼くようなことはなかったが、その反対のことはときおりあった。そのせいか、まる子が先に里親に引き取られてからは、猛然と甘えだした。それまでずっと、甘えたいのを我慢していたのだろうかと切ない気持になった。

その点、三毛子は一匹だから甘えたい放題。と思いきや、マイペースで、起きている時はたいてい、外の様子を眺めているか走り回るか、なにかしでかしているときだ。

【あのう、三毛子さん、それはバリバリするものですけど。他のところでしないようにね】

猫の「やきもち」はかわいいが、人間の嫉妬という感情は、ときとして戦いにまで発展する。男と女の間のそれは、魔界。闇が深くて立ち入り厳禁。そういう感情に圧し潰されてしまうと、なによりも自分が苦しい。

いつだったか、ともに作家をめざしていた仲間の一人が文芸誌の新人賞をもらったときのことだ。彼女が小説を書くために離婚までして上京し、住み込みで働きながら書いているのを知っていた私は、よかったなあ、と声をかけた。
すると彼女は、「だからあんたはだめなんだよ」と笑いながら返してきた。「口惜しい時には口惜しいって言えばいいんだよ、あんたはいつもいい人ぶっている」と。

確かに私は、内心では、いいなあ、うらやましいなあ、と思っていたのだが、一方では、そのうちに私にもチャンスが巡ってくるかもね・・・とも考えていた。そうしたら、本当にそうなった。よく芥川賞を輩出している文芸誌の新人賞の佳作に入った。

だが、結局は、彼女も私も売れる作家にはなれずじまい。彼女は故郷に帰り、私も小説は卒業し、今はのんびりと猫のことなど構いながら、ブログやツイッターを楽しんでいる。名もなく貧しく美しく、ではなく、楽しく! の境地。

嫉妬はときにはエネルギーになるけれど、その波の中に取り込まれてしまうと辛い。なので、波乗りをして上手によけていかないと。ですね。

【蓮華寺池公園のカモ。楽しそうだね】

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