生きているだけで、かわいいのです。

昨日は、ここ静岡でも、一瞬、雪が風花のように舞い落ちてきた。
気温を見ると夕方には4度になっていた。

ああ、やっぱり冬なんだなあと、比較的温暖な土地に住んでいても、そう感じるこのごろ。
外で寒さをこらえているであろう猫たちのことが気にかかる。
そして、そんな猫たちに餌やりを続ける人たちのことも。

公園の地域猫たちに餌をやり続けている人の具合がよくないと聞き、シロのときに助けて頂いた方々にラインを送り、協力を求めると、力を貸してくださる人もいて、ありがたい。


ボランティアで、暑い日も寒い日も、嵐の日にも、猫たちのもとに通い続けることは容易ではない。
「猫が好きなんでしょ」「もの好きだねえ」
という声がよく聞こえてくるけれど、猫が好きだというだけで続くほど、毎日続ける餌やりは生易しいものではない。
まして、具合が悪いときにはなおさらだ。

公園からさらに坂道を登って行く古墳の丘まで、何年も通った経験がある自分にはよくわかる。
なので、手伝いができそうなことはすることにしている。

【古墳の丘で5年暮らしたチビとまる子。いつも坂の上で二匹待っていて、私を先導した】

それで、アズキのハウスにさらに防寒対策をするために、屋根をつけて内側にウレタンを入れた。
ハウスの中には、すでにウレタンを張ってある。

アズキが何歳なのか、どういういきさつでここに住むことになったのかはわからないが、脚を引きずりながら歩き、歯もあまりない年老いたアズキの存在は、なんだか見ているとじんとくるのです。

【もう少し手直ししなくては】

アズキバアバと呼ばれ、親しまれているアズキには辛い過去があり、それもまた、人々の共感を呼ぶのだと思う。
いつも一緒にいたヒジキという大きなオスの黒猫が、一昨年の3月、事故なのか誰かの悪意なのか、池に浮かんでいるのがみつかった。
どんなときにも寄り添って生きていた相手を亡くしたアズキの消沈ぶりは深く、このまま逝くのではと思ってしまうほどだった。

餌やりさんがヒジキに先に餌をやっていると、そばでじっとおとなしく順番を待っていたアズキ。
池を渡ってくる風はとても冷たくて、そんな季節には、アズキは大きな体のヒジキにくっつき、寒風吹きすさぶなか、二匹は暖めあうようにして、なんとか寒さをしのいでいたのです。

【吹きっ晒しの朽ちた小屋で冬を過ごしていた二匹】

そんな大切な存在を亡くしたアズキでしたが、時間が癒してくれたのか、暖かくなっていく季節がよかったのか、しだいに元気になって、崖なども駆け上がるほどまでに回復したんです。
今はさすがに足腰が弱ってきたけれど、それでも、けっこう歩けるようで、いまのところは元気にしている。

【ごはんはまだ?】

そんなアズキを見て、ほっとする人は多かったのではないだろうか。
それまでのアズキは、ヒジキの陰に隠れて、あまり気に留める人もいなかった存在だったが、ヒジキを亡くしてからは、いろんな人がアズキの存在を気にするようになった。

メディアでもてはやされている猫たちは、姿や形がかわいい。
アズキは、年老いているし、歯もなくなり、鳴き声もしわがれている。
なのに、生きているだけで、とてもけなげでかわいい存在。
それって、人間にも言えることかもしれないと思うのです。

【満月と富士】

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