助けたぼくが、助けられている。
いろいろなことが、ぎゅっと詰まってしまう日がある。たぶん、きょうはそんな日だった。
富士が初冠雪だというニュースを横目に、午前中は気分が晴れなかった。結論がほしいと思うことが二つあり、そのどちらも、なかなか返事をもらえない状態が続いている。このままずるずると、時がたってしまうのではないかという不安にかられていた。
そんなときに、スマホにラインが入った。保護猫ボランティアのグループの方からだ。まだ生まれてまもない子猫をキャリーバッグに入れて公園を歩き回っている人がいるという連絡だった。なんでも、その人は子猫をもらってくれる人を探しながら、公園の中を歩き回っているとのことで、保護ボランティアの方に連絡をした人からの写真も添えられていた。
みると、段ボールの中に子猫が3匹。近くの川べりに捨てられていたらしい。保護ボランティアの人は、毎日公園に行く私に、もしもそんな様子の人をみかけたら連絡をしてほしいという。それで、夕方に公園に行ったときに探してみようと考えた。
いつもよりも早めに家を出て、チビにいつものように餌をやって坂道を降りた。いつもと違うのは、まる子の里親さんがめずらしく夕方にきてくれたことだ。分岐点で彼女は左、私は右手に行き、もしもみかけたら連絡をすることにして歩いて行くと、すぐに彼女は誰かを連れて戻ってきた。
あたりはもう暗くなっていたが、キャリーバッグを持っているのをみて、この人だと、ぴんときた。彼をそばのベンチに誘い、猫の保護の話をすると、怪訝そうな顔をした。猫をどうかされるのかもしれないと思うのか不安そうだった。
きっと一人で抱え込んで、途方にくれていたのかもしれない。4匹のうちの一匹だけは飼ってくれる人がみつかったが、そのあとはだめだったという。みんな、子猫を見てかわいいとはいってくれるが、飼うとはいってはくれない。期待と落胆を、彼はこの数日のうちに数えきれないほど味わったことだろう。
彼は猫を譲渡するための団体があることも知らなかったようで、夕暮れにキャリーバッグを抱えて歩く彼の姿には、悲壮感が漂っていた。それで保護猫のボランティアさんに電話をし、話をしてもらうことに。
彼がボランティアさんと電話で話しているあいだにキャリーバッグを覗いてみたが、暗くてよくわからない。声もしない。もしかすると、一日中、彼が歩き回っていたために、中の子猫たちは弱って死んでいるのかもしれないという不安がましてくる。
そのうちに話はおわり、ボランティアさんとは、明日の夕方に動物病院で会う約束をしたという話。すると、バッグの中から小さな声が聞こえてきた。あけてみせてもらうと、まだ掌にのるくらいの猫が3匹。ああ、よく生きていてくれたね、と心のなかで声をかけた。猫たちは一人前に外へ出ようとし、中に押し戻すのが大変なくらいに元気。よかった、という思いが満ちてくる。
そうして、彼と一緒に駐車場へ。私はキャリーバッグを持たせてもらい、猫たちが動いているのを感じながら歩き、彼とも話ができた。今はコロナのせいで仕事が休みだということや、猫を拾ったこの数日のできごとなど。
市役所に電話をしたり、餌やりボランティアの人と話をしたことなど・・・。どこからも、これといった返答が得られず、困っていたと。
こんなことがあるんだなあ、ありがたいなあと、彼。街路灯に照らされたその顔が、ほっとした表情に変わっていた。
でもね、と彼はぽつりと言った。
「じつは、猫を助けたぼくのほうが、猫たちに助けられているんだよね」
彼と別れて車にもどり、スマホを覗くと、ボランティアの人は、「優しさのリレーだね」という言葉を送ってきていた。初めは、彼が捨てられていた子猫を見捨てず、懸命に里親を探していたこと。つぎは、それをみて、ボランティアの人に連絡した人がいたこと。ボランティアの人が情報を発信したこと。情報をもらった私が、まる子の里親さんの助けを借りなから、幸運にも彼をみつけられたこと。最後のバトンは、ボランティアの人と連携ができたこと。
優しさのリレーがうまくいって、朝のいやな気分は消え、結局は私自身も助けられていた。生まれたばかりでなんの力もないような子猫たちに助けられたのは、彼だけではなかった。
別れぎわ、彼は、猫たちの顔が捨てられていたときよりも柔らかくなってきたんだよと言ったが、猫だけでなく、君の顔も柔らかくなっていたよ。黒猫ちゃんたち、どうかしあわせになってね。