地震やら飛行機事故やらと、テレビから流れ出る衝撃的な映像に、自分もいつどうなるかわからないなあと、そんな不安に駆られてしまった年明け。
でも、このブログの他にツイッター(X)もやっている私の眼には、されど世の中はそれほど捨てたもんでもないというふうにも感じられました。
「うちは、井戸水が出るからおいで」
「地震で飛び出したまま、行方がわからなくなったペットの情報の拡散をしたり、避難所に入れないペットを預かります」などなど、そんなツイッターも数多く、救われるような気持にもなりました。
被災地に遠くから駆けつける善意の人も多いけれど、混乱に乗じる悪意の人たちもあるようです。
善と悪が混沌と入り混じった世の中、たしかに、パニックに陥ると、何を、誰を信じていいのかわからなくなりそうだ。
そんなときに私が思い浮かべるのは、樹木の「凍裂現象」。
山形の雪深い土地に住んでいた頃の冬の現象で、木の幹が裂けてしまうこと。
樹液が寒さで凍って膨らみ、幹が内圧に耐えきれなくなって、悲鳴のような音をたてて裂けてしまうのです。
冷え切った朝、裏の林から聞こえてくる樹木の悲鳴に、よく飛び起きてしまったものでした。
その頃の私は不安に押しつぶされそうになっていて、心が破裂しそうでした。
そのせいか、ひどい眩暈に襲われて、数日のあいだ、まったく動けなくなり、その後もたびたび眩暈に悩まされるようになったのでした。
心がパンパンになっていて、体のほうが動くなという指令を下したのでしょう。
破裂しそうな心を静めるためには、しばらくはただ、じっとしているしかなかったのです。
振り返ると、昨年、一昨年はなにかときぜわしくかったから、少しその状態に近くなった。
それで今年は、これまでの半分くらいがちょうどいいよね、と考えることにした。
これまでは、中途半端がいやな性格で、もっともっとと、自分をけしかけていたのだが、新しい年になったのを境に、もうそんなやり方はやめることにした。
欠点が目立ったところで、それもまた魅力となるんだし、出来がいまいちでも、完璧なものよりも親しみやすい。
人との距離も、こちらが思う気持の半分くらいで表すのがちょうどいいかなと。
離れすぎてもさびしいけれど、近すぎてもまた、よくない
信じすぎても、ちょっとしたことで裏切られた心地になるし、半分くらいで抑えといたほうがちょうどいい。
猫がいい見本だ。
かわいいからと近づきすぎると、猫パンチをかましてくる。
それでいて、あまり放っておくと、今度はかまってよ、とちょっかいを出してくる。
猫は、半分の天才だね。
見習うことにしよう。
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※れんちゃんとまんちゃんのママさんから、花猫の会にフードの寄付がありました。
ありがとうございます。