仇を取るみたいにね。

鎌倉、小町通りの中ほどを歩いていると、コーヒーと焼きたてのパンの香りが漂ってきた。
その匂いに誘われて中へ入って行くと、間口は小さいが奥行きがあって、かなりの広さ。
通りを眺められる小さな丸いテーブルに座り、トーストとコーヒーを頼んだ。

【イブの夜、一夜限り、山の中腹に浮かぶツリー】

年末の、みんなが忙しい季節。
窓の外の通りを歩く人々も、買い物袋を両手に持って、早足で歩いて行く。
家へ帰れば、自分にもいろいろな家事が待っているが、そんなことはどこかへすっ飛んでいる。

友達に言わせれば、「あんたはさ、みんなが忙しそうにしてる暮れでもさ、一人で、喫茶店とかで本を読みながらコーヒーを飲んでいるタイプ。憎たらしい」。

【ふだんはやんちゃで、憎たらしいこともあるミーナ。でもこんなときはいじらしくなる】

でも、私に言わせれば、年末に忙しく働いて、黒豆やおせち料理を作り、元日には家族みんなでそれを頂くという習慣を頑なに守り続けている友達のほうが、よっぽど憧れだった。

なまぐさであまり料理が好きではない自分になど、手作りのおせちなんぞ、どだい無理というものだったから。
スーパーのありきたりの正月料理を並べ、ほんの少しの手作り品を添えるという程度だった。

white ceramic cup on saucer beside flower vase on table
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年末の忙しい季節だからか、店は空いていた。
一人ぼんやりと外を眺めながらコーヒーを飲む私を見て、カウンターの中のママさんが声をかけてきた。
「よかったら、こっちに、カウンターにきません?」

誘われるままに、カウンター席に移ると、ママさんは、奥の席にすわった年配の男性二人に笑顔を向けながら、コーヒーを淹れる。
そして、まるで私に言い聞かせるように、漏斗のコーヒーの粉に、琺瑯の薬缶の湯をほんの少しずつ垂らしはじめた。

woman pouring water
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「あのね、コーヒーをおいしく淹れるコツはね、こうやって、少しずつ、「の」という字を描くようにね、回しながら垂らすのよ。するとね、ほら、ふっくらと粉が盛り上がってくるでしょ。まるで人間の丸めた背中みたいに」

自分もコーヒーが好きで毎日淹れているが、ママさんのように丁寧に湯を注ぐことはなく、急いで淹れることが多かったから、感心してママさんの手元をみつめていると、ママさんは続けて言った。

ceramic mug with coffee

「まるでね、自分の好きな人を取られた相手の背中に垂らすような気持で、ねちねちと少しずつね、熱い湯を垂らすの。仇を取るみたいにね。するとね、おいしいコーヒーができるのよ。やってみて」
「あのう、私にはそんな仇を討つような人、いないんですよう」

粋なセリフの一つも返せない私に、ママさんは、あなたって、つまんない人ね、とても言いたげに、磨き上げたような艶肌に笑い皺を走らせた。

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