蓮の花といえば、子供のころにはお葬式のイメージが強かった。なぜかというと、私の生まれた土地では葬列を先導するものは、金と銀の蓮の飾り物を持つと決まっていたからだ。蓮の花は、子供心にも、あまり縁起のいいものではなかった気がするのだが、日の光に輝く金色と銀色のまばゆさに眼は惹きつけられてやまなかった。
中学に通うようになってからは、学校の近くにあった寺の池に蓮の花が咲いているのをみて、あの、金と銀の花の元はこれだったのだと知った。濁った水の上に開く、薄桃色の花は幻想的で夕方の寺の池の縁にしゃがんでいると、鯉が餌を求めて寄ってくる。中には人の顔に似た鯉もいて、飽きずに眺めていることもあった。
藤枝に越してきて、しばらくは蓮花寺池公園に行くことはなかった。猫がいるということを聞いて、猫好きの私としては、これは嵌まってしまったらまずいぞと思い、あえて行かないことにしていたのだ。それがいつしか今のように猫に関わることになり、結局は毎日通うことになっている。
毎年、蓮の花が池を埋めつくすのをみて、うんざりすることもあるけれど、それでもやはり、蓮は心惹かれる花なのだ。
蓮が咲き始めた池では、ゴイサギがなにかみつけた様子。
藤枝の名物である藤の花は終わり、ツツジ、蓮にバトンタッチした。花が終わった藤は、実をつけ始める。そんな藤の木に、姫がときおり登っていたり、藤棚の上を歩いていたりする。
そして、私が坂をのぼり始めると小走りに寄ってきては餌をねだる。姫に餌をやる人は決まっているので、知らんぷりをして通り過ぎようとすると、苛立った声で鳴く。それでも無視をすると、どこまでもついてくる。しかたなく少しだけ、姫の好きなカリカリをやると、じつに小気味のよい声を出して、カリカリと音をたてて食べる。
だが、オッドアイ(左右で眼の色がちがう)で白の美しい体毛を持つ姫に、このごろ異変が起きている。体をあまり舐めなくなったのか、きれいだった体毛が薄汚れてきて、怪我も多くなった。
餌をやっている人に事情を訊くと、食欲があるから大丈夫だろうという。こういうところの猫は捕まえるのもむずかしく、おいそれと病院には連れて行けない。姫の傷が気になって、まる子のためにいつも持ち歩いている抗生物質の薬を餌やりの人に渡した。
池のまわりの桜の老木は、キツツキにとって穴をあけやすかったのだろう。坂道の脇の木の穴は空き家のままだ。どうやら、順調に卵を温めているようだ。顔を出しているのは雛だと思ったが、毎日観察している人の話だと、巣の中では一羽が卵を温め、一羽が餌を食べに行っているようだという。
計算上でいけば、今週の末あたりか来週の初めごろには雛が孵るのではないかという。それで毎日、坂道をのぼる前に、必ず立ち寄ることにしている。とても楽しみだ。
丘の上のチビまる子は、ハクビシンの騒ぎがおちついて、だいぶ元の様子に戻ってきた。一緒に入ってくれればと思って設置したハウスはまる子に独占されてしまったので、チビのための新しいハウスも設置した。今日覗いてみると、どうやらチビは入っている様子。少し安心し、ハクビシンが通ってきそうなところに忌避剤を撒いた。
我が家の庭では、ヤマボウシが花をつけ、そのそばでは、三毛子が遊びに夢中。隣の家のモモとは仲良しのようで、鼻先をくっつけあっているときがある。猫にも人間にも、相性というものがだいじなんだよね。