人は、こぶしを握って生まれてくる。
そのこぶしの中に、それぞれの何かをつかむために。
小学5年のときだった。
将来は何になりたいかという作文の宿題があって、私は、罪のない人を救う人、と書いた。
なのに、たいしたこともできないまま、ごく平凡なBABAになった今、もし生まれ変われるのなら、屈強な男と答えるだろう。
些細なことに動じない鋼のメンタルを持ち合わせた鉄人のような。
だが、そんな男は、たぶんアニメの世界にしか存在しないだろう。
だから、人気が出るのだ。
そんなことを思うのは、この年齢になって、ようやく気づくことがたくさん出てきたから。
小学5年のときに大口叩いたくせに、結局はなにものにもなれないままに年を重ねてしまった。
けれど、自分のことを気にかけてくれる人が一人でもいるのなら、それはすごく幸せなことだと思えるようになった。
たとえ今は一人きりだと思うことがあっても、人生にはそんな人が必ずいたはずで、過去のそれらの人々を思うとき、まるで飴玉でもしゃぶるような甘い気分になり、小さくなるまで味わうことにする。
なにものにもなれなかったが、言いたいことを伝え、理不尽なめにあったときには、時には戦うことも少しはできるようになった。
なにか思わぬことが起きたとき、自分に恥じることがないときには、相手が立場が上であっても謝らないことにした。
簡単に謝ってしまえば、ひとまずことは収まるかもしれない。
でも、また同じようなことに出会ったときに、また謝ることになり、謝ることが癖になる。
結果、自分で自分を粗末にすることになる。
それがわかってからは、もう誰にも、自分のことを粗末に扱わせやしないぞ、という心持で生きたいなと思うようになった。
いろんなことを諦めた今、自分の限界をどんどん狭めていかなくてはならない日々のなかでも、これだけはというものがあるはず。
のんびり、まったり、ただそれだけの日々の中、うたたねからふと眼が醒めて、あれっと眼をさますとき、ああ、もしも今度生まれ変わることができるなら、やっぱり、心優しき鋼のような男に生まれ変わりたいと夢みるのです。
まあ、無理かな。
でも考えることは楽しいことです。
そんな男に出会う奇跡も、もしかしたらあの世ではあるかもしれないのだから。