人に愛されることもなく、顧みられることもない、山の木々。
その中でひときわ大きな木が、「マザーツリー」。
そのマザーツリーが、他の木々に与える影響は計り知れないものだという。
木は一本で立っているけれど、そばの木々と交流しているのだという。
まるでたがいに話をするように、ネットワークを作っているのだそうだ。
菌根菌というものがあって、根っこ同士がつながりあい、栄養をやりとりしている。
ひときわ大きな木が、他の木を育てる。
それがマザーツリーなのだ。
だから、樹をやたらと切ってはいけないのだ。
木々どうしのネットワークをぶった切ってしまうからだ。
リニア鉄道の工事で、山の木がずいぶん切られて、無様な姿になった山肌に送電線の鉄塔が立った映像が、先日流れていた。
ある人々が木を切らないでほしいという運動を起こしたことで、マザーツリーは残されたが、他の木々はすべてなくなった映像をみて、涙が流れそうになった。
マザーの子供たちはすべて切られてしまい、たった一本で山肌に立っているマザーは、自分だけは生き延びたものの、子供たちとのネットワークを断ち切られ、果てして生きていけるのだろうか。
現に、急斜面に張った根が一部、変色しているのだという。
そんな現象は、強引に工事をすすめることで、あちこちで起きているのだろう。
工事は着々と進められて、じきにリニアは走るんだろうな。
私はべつに反対派に属しているわけではないが、これと似たことが日本中のあちこちで起きていることを思うと愕然とする。
あちこちでクマが出没するのも、人間たちの勝手な計画で自然がどんどん壊されているせいもあるだろう。
どうして、人は、そんなにも便利なものを求めるのだろう。
便利に速くすることよりも、よほど大事なことがあるはずなのに。
マザーツリーのような存在を軽視して、ほんとうの豊かさが得られるのかしら?
そういえば、私には、子供のころ、悲しいことや辛いことがあると、走って行ってしがみつく木があったっけ。
あの木も知らないうちに切られてしまい、今は工事用のトラックが走るようになった。
今はもう会えない、私のマザーツリーだ。