猫のように、足音もたてずに遠ざかる。

ランタナ

どうしても決断できなかったことが、ある瞬間にストンと体から抜け落ち、もういいっか、となり、すっと軽くなることがある。まるで、憑き物が落ちたみたいに。人との決別はとくにそうだ。

10月26日の富士

理不尽なことに出逢い、諦めたら負けを認めることになると思い、意地を張っていた自分が嫌になって、なあんだ、べつにもうこだわらなければいいことじゃん、と気づいた。損して得をとれという言葉があるけれど、本当にそうなんだと思う。

トラとマル

というのも、怒りや確執にとらわれると、ほかのことに眼が向かなくなくなってしまうからだ。なにも手につかなくなり、落ち着かなくなる。そして、ストレスは体に悪さをするようになる。動悸がしたり、息苦しくなったりする。そんな損をするくらいなら、こちらから決別したほうがいいんじゃないかなと思うようなことに出会った。

チビ

直感というものは正直で、本能的に心が嫌がるものには拒否反応を示す。それは、理屈や道理では説明がつかないものだ。このごろは年齢を重ねたせいか、面倒くさい相手からは、とっとと逃げることにしている。そっと一言、優しい言葉を置いて。それは、誰でもなく自分のためだ。

隣りの家のスズ。モモの家のもう一匹の猫

けれど、そんな相手でも久しぶりに会うと、まるで人が変わったように、欲が削がれたいい顔になっているときもある。反対に、いっそう小ざかしくなって、ひどくなっていることもある。神様でもないかぎり、そんなことは予測できないから、これはまずいと思ったら、猫のように足音もたてずに、そうっと後ずさりして消えることにする。

滝のあたりがティりトリーの姫

無駄にこだわっていたことを捨て去ると、やがて、それまでみえなかったものがみえてくる。心に映る風景もみちがえるようになる。なにかにチャレンジしたくなり、新しい力も湧いてくる。

つい最近そんなことがあり、それに加えてチビのロスもあったので、しばらく調子が悪かった。けれども、ずっとこだわっていたことを捨て、解放されたら、すっかり回復。なので、また、これまでできなかったことなど始めようかなあという気持になった。

まる子やチビに関わるようになってから、学んだことは多い。荒れた天気の日にヒョウに見舞われたり、雷を恐れたりして歩きながら、自分はなぜこんなことをする羽目になったのだろうかと悲しくなることもあったけれど、続けられたのは、ただチビまる子が愛らしかったからだ。

そのことで今、ずいぶんと恩恵に預かっている。人とのつながりだ。猫の神様がプレゼントしてくれたのかな? それで、ちょっと得をした気分でいる。いくつになっても、人としての愛らしさをなくしたくないなあと思う。

ちょっとお茶目な犬が、かつてのチビまる子の石のところにいた。

これから、アタシの出番、ふえるかな

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