毎朝、椅子取り競争

【彼岸花、みんな仲良く咲いている】

それでも、競わず焦らず、泰然としている人がいた。

このごろ、よく、人手不足の問題が取り上げられる。
働く世代の高齢化が進み、仕事から離れてしまっている現象が主な理由らしい。

世代の人数が多かったために、なにかにつけて、競争の弊害を受けて育ったものから見ると、なにか不思議な感じさえ受ける。

自分たちのときは、何をするにも椅子取り競争。
小さいころから何かといえば他の子と競うように比べられ、いつしか自分にも比べる癖がついた。

実際、椅子取り競争をする職場にしばらくいたことがあった。
就職情報誌を出版する、当時は新しい経営スタイルで名を馳せた会社である。

男女とか年齢の差別はしないが、そのかわり、過酷だった。
私が属していた校閲部では、入り口の壁に、毎朝、前日の成績が貼り出された。

校正の性格さ、速さ、こなした量など、項目ごとに赤い○がつけられている。
その表に全て○を埋めなければ、自分専用の机は与えられない。

誰のものとも決まっていない席が並ぶその場所は、壁際の成績表のすぐそばにあって、人数分には足りなかった。
わざとそうしているのかな、と思うほど微妙な数だった。

それでも始業時間になるころには、その日の欠席者の机があく。
椅子に座れなくてうろうろしている人は、欠席者の席に座れることになるのだが、どこが空くか、どれだけ空くかということは、始業のベルが鳴るころでないとわからないから、遅くなった人は、あちこち眼を走らせている。

それで、競争の苦手な自分は、とにかく誰よりも早く行かなくてはと、毎朝、焦ることになる。
電車が遅れた日は、新橋駅から走りっぱなし、エレベーターを待ってる間ももどかしく、五階まで駆け上がる。

そして、どうにか空いている席を確保し、壁の成績表に眼をやり、ため息をつくことになる。
私は、スピードに欠けていた。

ミスをしたくないばかりに、つい時間をかけてしまい、遅くなる。
当然、一日にこなす量が少なくなる。

校閲室は、【A】と【B】のシマに分かれていて、【B】のシマは、上級者。
壁の成績表に○を埋めることができた人たちのシマは、部屋の奥の方、当然自分の机があてがわれている。

そして、私がいた【A】のシマはいわゆる見習いグループで、○を埋めることができるまで、毎朝の椅子取り競争からぬけだすことができない。

その辛さにやめていく人も多かったが、給料がいいので、入ってくる人も多い。
当然あとから入った人に追い越されることもある。

なにかのトラブルで遅くなってしまったときに、自分の座る椅子が見つからなくて、呆然と立っている自分を、今でもたまに夢に見ることがある。


混みあうエレベーターを避け、息をハアハアとさせながら階段を5階分のぼり、壁に貼りだされる大きな成績表の前に立つ日々は、ただただひたむきだった。

でも一方で、自分の席がなくても泰然とし、焦る様子を見せない人もいて、ああいう人がたぶん大成するのだろうと思っていた。
競わない、焦らない、自分もそういう人になりたいと憧れたものだ。

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