すんでのところで、あったかい人の手に抱えられ、生き延びてくれると思われたサビ猫。
けれど、一つ夜を越えても、二つめの夜を越えられなかった。
怪我で膿んでいた顎や口の細菌が脳にいき、発作を起こしたのだという。
いつも、ひっそりと、植え込みの中に姿を隠していた猫だった。
餌がほしいときだけ、公園の入り口近くにあるお稲荷さんのところに出てきて、鳴き声をあげる。
でも、ほとんどの人がチラッと見ては通り過ぎる。
人間のように猫の性格もさまざま、公園の中で人懐こい猫は好かれ、餌をやる人も何人かつく。
けれど、地味で臆病な猫は、信用している人の前にしか姿をあらわさないから、餌にありつけないことも出てくる。
少し前から、朝晩通ってくれていた餌やりさんが朝しかこられなくなってからは、猫たちも必死だ。
こわごわ出てきて、餌をくれそうな人を待つ。
さいわい、夕方、餌をやってくれる人が数人いてくれる。
それで、猫は寒空にひたすら待っている。
寒くても、食べられないよりはましだから。
夕方、お稲荷さんの所に出てきて声を上げているをサビ猫を見たのは、一週間くらいほど前だろうか。
甲高い声を出しているので、近づいて紙皿に一袋の餌をやった。
もしかすると、あの異様に高い声は、助けを呼ぶ声だったのかもしれない。
サビちゃんは、粒の細かいカリカリを必死で食べた。
なにか様子がおかしかった。
食べるのに異常に時間がかかった。
食べ終わるのを辛抱強く待っていると、それでも一袋をたいらげて、もっと、という顔で私を見上げた。
よほどお腹が空いているんだなあと、お地蔵さんの前で、また違うカリカリを紙皿に入れて、チュールをかけてやった。
すると、どうだろう、サビちゃんは、こんなにうまいものがあったのかという顔で、うれしそうに、顔を横に向けたり下げたりしながらようやく食べ終えたのだ。
おいしい、おいしい、と言っているようであった。
「おまえはチュールの味も知らなかったの?」
話しかけると、口から、血の混じったよだれが流れた。
口内炎かと思った。
今、考えれば、あのとき、どれほどの痛みをこらえていたのだろうかと思うのだ。
医者の話では、損傷したあごの骨が壊死し、口の中も腫れて盛り上がっていたというのだから。
それでも食べたかったんだよね。
生きたかったんだよね。
あんなにチュールをおいしそうに食べる猫は、他にいなかったよ。
サビは、チュールを食べたの、初めてだったかもしれないね。
内臓は大丈夫ということで、来週の手術に向かっていて、いつもそばにいたお地蔵さんやお稲荷さんが、守ってくださったんだろうと思ったけれど、力が及ばなかったんだね。
たった一夜であっても、人のぬくもりと一人ぼっちではない安心を感じることができたのかな。
撫でてくれる人の手の温かさも知らず、見過ごされがちだったサビちゃん、どうか天国では、きっと幸せに出会ってほしい。
かなしいことに、サビの写真はほとんどない。
メスで、体重は2キロなかったという。
名前は萩サビ。萩の咲く家の近くにいたからだろうか。
あのとき、すぐに対処していればと、悔やまれる。