なんとなく気になる人って、いる。
年代とか性別とか、そういうのはあまり関係なくて、雰囲気というか・・・。
なにか、話せばいろいろなことが出てきそうな感じ。
ブログやツイッターを見ていても、そう思う人がいる。先日もフォロワーになっていた方が突然やめてしまい、いまだに少し気になっている。かなり切実な印象だったので、よけいにそう思う。
古墳の丘で出会った人たちの中にもそういう人が何人かいた。
けれど、あまり話ができないうちにその人たちはこなくなり、それっきり。
なのに、その印象はいまだに消えていない。一人は、70代前半かと思われる方で、男気がある感じの方だった。
猫に餌をやっている時に大型犬を放して走らせる若い男がいて困っていると、その方が、若い男に向かってはっきりと注意をしてくださったのだ。
今どきは視線をあわせただけでも暴力をふるわれたり、ひどいときには殺される事態にもなりかねない。
そんな時代なのに、なんてすごいと、久々に胸が高鳴った。
お礼を言いがてら、少し言葉をかわした。
すると、燃料関係の会社を経営していたのだが、退いてからは健康管理のために古墳の丘までのぼってくるのだということ。
自分も猫は大好きで、かつては5匹くらい飼っていたとのこと。
それからも夕方は毎日のように会うようになったのだが、ある日、夫もまじえていつものように3人で話をしながら駐車場で別れたつぎの日からぷっつりと姿を見なくなった。
あまり体調がよくないと言っていたから、具合が悪くなったのだろうか。あれからずいぶんとたつけれど、まだどこかで、やあ、と笑いながら独特な調子で話しだすにこやかな顔を思いだしてしまう。
ほかにも、以前の、「華の人、風の人」の項にも書いた「風の人」のこと。
夕方に坂道を上って行くと、いつも古墳の丘から笛の音が聞こえてきたものだ。
アンデスの山脈を想像するようなその笛の音は、まわりの景色と同調し、とても雄大な気持になった。
だが、それも、ある日を境に笛の音は聞こえなくなり、まさに風のように去って行った。
近所にも少し気になる人がいて。
といってもすぐ近くではないから、それほど会うことはなく、通りすがりにちらりとその姿をかいまみる程度だが。
たぶん自分と同年代かと思われる方。
なのに、自分がとうに忘れてしまったものをお持ちであると見受けられる。
長いエプロンドレスを着て、花のブーケをつけた帽子をかぶって、庭の手入れをしたり散歩をしていたりする姿に眼を惹かれる。
一度だけ話をする機会があって、そのときに意外なことを聞いた。
「一人暮らしで、夫はほかの女性と暮らしている・・・。でも私の人生はとてもおもしろいの」とそうおっしゃった。
「可愛がっていた犬も死んでしまったけれどね」と。
一度、ゆっくりと話ましょうよ、と言ってくださったのだが、いまだに気にしながらも伺っていない。
けれども、いつもその家の前を車で通りかかるとき、ついついスピードをゆるめてしまう。
ほんとうに一度、尋ねてゆっくりと話をしてみたいと思う人だ。
気になる人って、なんだかミステリアスで、近づきたいけれどその魅力にとりつかれそうで、少し怖い。
気になる猫には、すぐに近づけるのにね。人間はバックグラウンドが深くて、なかなか・・・。