猫と猫が適当に距離をとりながらときどき鳴き声をあげ、たがいに、それとなく様子をみているのを眺めていると、なにか話しているようにみえる。こっちにおいでよ、とかなんとか・・・。
隣りんちのモモちゃんも、三毛子を外に出さないようになってから、そんな顔で窓から覗き込む。そんなときには心がずんと重くなり、辛くなるが我慢している。ごめんね、三毛子、と胸の内で謝りながら。
猫といると、それだけで幸せだっていう人も多い。
気がつくと自分も、いつのまにか、幸せとか不幸せとか、あまり考えなくなっている。
そうはいっても、やっぱり、これって、まずいんじゃね、と感じるときがある。
そんなときは、ちょっと甘いものでも食べて、まず口から幸せを感じてみる。とくに、抹茶アイスとか最高だ。
コレステロールが高い自分には、かなりよくないけれど。
それから、これまでどうしても許せなかったことなど、みんな許してしまおっか、と考えてみる。
許すも許さないも、まんま、あたしの自由だし。あたしが自分の裁判官なんだし。でも気持をスッキリさせて、軽くしたいのも事実。
めったに会うことはないが、会えば必ず、刃のような言葉を連発し、あたしの心をグリグリとえぐってくる人がいる。その人とは縁を切るのも難しい相手だし、ずっと許せないと思っていたけれど、でももういいやっていう思いが、抹茶アイスとともに舌の上でとろけていく。
羽がボロボロになった蝶だって、なにげに飛んでいる。それくらいはしょうがないよ、生きてくってそんなもんさ、といいたげに。
それに自分だって、そんなにいい人ではないんだし。まあ、この際、そんな自分の許せないことも、もう許してやるとして。
そうやって、軽くなった心で過ごせたら最高だな。そして、空き地ができた心の中には、きっといいことが入ってきそう。
夏の富士は、たいてい、雲に領域を許している。いつも毅然となんかしてられないって言ってるみたいだ。
夏の日の夕方、子供のころのあたしは、トウモロコシ畑の畝のあいだを駆け抜け、突然に視界が開けた空をみあげ、今の空は今だけのものなんだって思った。
そう、今は今だけのものだから、なんだかんだとひきずっていると重たくって動きずらい。
だからせめて、心だけでも(体重は重い)軽々と飛んでいこうと、抹茶アイスを食べながら舌鼓を打つ。そばで、三毛子が遊んでいるし。無心で遊ぶ姿はやっぱりいいなあ・・・。