赤いツリー

ひさしぶりに、街へ出てみた。古墳の丘に通うようになってから、夕方の餌やりの時間を考えると、なかなか遠出はできなかったし、街へ出ることもほとんどなかった。いったい何年ぶりだろうか。

緊急事態宣言は解除になったとはいえ、やはりまだ人通りはそれほどでもなく、平日ということもあってか、あまり賑わいもなかった。あちこち歩いたのだが、大きなツリーを飾っていたのもこの場所だけだった。

バラの花びらのエントランス(静岡セノバ)

11月になると早々に、デパートや商業施設が競うようにクリスマスの飾りつけをした時代はとうに過ぎ去ったのだろうか。華やぎをなくした街は色褪せてみえたせいか、このバラのツリーはひときわ鮮やかにみえた。クリスマスカラーの赤と緑。赤は人の熱を呼び起こし、緑は熱を静めてくれる。対比する赤と緑はそういうことを意味しているのかもしれない。

まる子は早くも、クリスマスの飾りつけをしてもらったのだそうだ。

まる子のクリスマス

古墳の散歩道も、赤に染まっていた。冬枯れの色のなか、落ちたモミジの葉が道を明るく染めていた。

赤は、温かさを感じさせる色。自分を主張する色でもある。これからは気分だけでも派手めにいってみるか、と持ち上げてくれる。地味な色になじんでばかりだと、まわりの色に埋もれてしまいそうだ。

母は、暗い色をあまり着ない人だった。娘たちが年相応の色の服を贈ると、90歳になっても、そんな年寄り臭い服は着ないと言って、袖を通さなかった。渋いけれども、色味のあるものを好んだ。

母が亡くなってから、クローゼットやタンスや押入れを見ると、見事といっていいほどに整理や始末が行き届いていて驚いたものだが、たった一枚、ハンガーにかかっていたブラウスがあった。

渋い紫の小花模様の重ね着風のブラウスは、きっと彼女に気に入ってもらえた数少ない洋服だったのだろう。私はめったに洋服を買わなくなったが、ふいに眼に飛び込んでくる色をみて、ああこれは、母が好きな色だなと思うことがあって、はっとする。

このカモたちの色のバランスは見事。生き物たちはほんとに素敵な色でできている。公園に通うようになってから、季節の色や風に敏感になった。つくづく、この世界は微妙な色の組み合わせでできているんだなと思う。

この子も、ちょっと微妙な色なんです。ブサカワ猫のモミジ。ちょうどモミジの季節でして・・・。ここで生まれてここで育った猫。母親はきな子。きな子は、ある日突然に姿を消し、それ以来姿を見なくなった。

性格は人懐こくて、餌をねだるのもうまい。不細工な顔と模様だが、愛嬌があるから可愛がられている人気者。近くにいる姫とは相性が悪く、しょっちゅう唸りあっている。姫はあまり人懐こくなく、餌をねだるときだけついてきて、すぐにどこかに行ってしまう。なにか自分の世界を持っている猫だ。

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