愛のお返し。

アズキの具合が悪いとき、ふじ子は心配そうにそばにいた。
そして、アズキが調子を持ち直し、帰ってくると、こんな感じ。

裏切りのない無垢な猫たちの愛は、深いようです。
初めの頃は、アズキがふじ子を追い払おうとして追いかけたり、ふじ子が、せっかく仲良くしようとし始めたアズキを威嚇したりといろいろあったけれど、今では絆のようなものさえ感じます。

猫たちの絆に心を洗われて、私もようやく、新しいステージへと前進することに。
「傾聴」だ。

それは苦しかったね。
辛かったね。
さびしかったね。

話を聞いてくれる誰かのそんなひとことで、底が見えない暗闇に光が差してくることもある。
本当に辛い時には、忠告や意見、はげましなどは、かえって相手を追い込むことになる。

「傾聴」をしてみようと思ったのは、そんな気持からだ。
講習を受けたのはずいぶんと前だったが、このたびの猫の会のトラブルで会を退き、やってみようと思い立った。

そのときに受けた傷は、自分が思っていたよりも深かった。
それはそうだ。
理由もろくにわからないままに、ある日突然に、猫の会の主たるメンバーから、電話もラインもブロックされてしまったから。

彼女とは、そのあとも何度か接触しなければならないことがあって、そのたびに、もしかすると仲直りができるのではないかと淡い期待もしたけれど、仲直りどころか、ほとんどが誤解からくることで、さらに叱責を受けた。

親子ほども年が下の相手から、まるで、生徒が教師から立たされて叱られているような状況になり、傷はさらに深くなった。
そばにいた人が制止してくれなかったら、延々と続いたかもしれない。

猫の会での彼女のやり方に、確かに私は意見を言った。
そのことがそもそもの原因だったようだ。

そのことがあってから、私は、人と接することが怖くなった。

けれども、このままだと鬱へと落ち込んでいくだろうなあという不安を感じ、心の掃除をしたくなった。
それで、以前に講習を受けて、そのうちにやってみようと思っていた「傾聴ボランティア」を思い出した。

【ジャカランダの花】

誰かの話に耳を傾ける。
共感する。

意見だの忠告だのと、そんな、お説教めいたことなんて、相手は求めていないのだから、それはしてはいけない。
自分が苦しみの中でほしかったのは、たった一つ、「共感」だったから。

それで、先日、その集まりに参加してみた。
すると、いきなりの歓迎。
わあわあと声が行き交い、はしゃいだ声も。

ひと月に一度の集まりのあとは、たまにランチもあるのだとか。
自由で、ざっくばらんなおばちゃんたちの集まりは、ふっと大阪のあったかい雰囲気を思いださせて、快感!

【早く早く! ご飯が待ちきれなくて、おじさんをせかすモミジ】

なあんだ、深刻になっていたのがばかみたい。
そう思って、人と接するのが怖くなっていて、参加するかどうか迷っていた気持をふっきった。

人は怖い。だけど、一方で、人はあったかいものでもあるということを感じながら、ひさしぶりに初夏の風を感じながら歩いて帰ったのでした。
そして、途中の長い階段で息をつぎ、自分が新しいステージに立った気分を味わったのです。

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