ドクターカーに乗る。

テレビなどでドクターカーがあるのは知っていたが、自分が実際に乗ることになるなんて思ってもみないことだった。
病状が進むシロの保護がなかなかできないので、市役所に行き、公園に捕獲器を置かせてほしいと頼みに行った。
けれども、応対に出た若い職員が後ろにいる上司らしき人に伺いを立てると、地域猫の人に任せてあるからという答えを出したまま、一切、こちらの言葉を受け付けようとしない。

「地域猫の人がちゃんと見ていてくれたら、こんなふうにはならないでしょ。だから、保護して保護ボランティアに渡して治療や看取りのお願いをして承諾してもらい、こうしてご協力をお願いしてるんですよ。耳から血を流しながら歩いている猫が公園にいたら、それこそ、問題でしょう」

だが、なんの反応もないまま、職員はただ黙ったまま突っ立っているだけ。
なんでこんなに話が通じないのだろうか。
「じゃあ、せめて上司の方と直接にお話しさせてくれませんか」
そう言っても、それもだめだという。

市民がこうしてことの顛末を話し、訴えていても話も聞こうとしないなんて、としだいに腹がたってくる。
そのうちに、なんだか頭がぼうっとしてくる。
これはちょっとやばいぞ。と言う感じがしてきて、応対に出ていた若い職員に、「具合が悪くなってきたから、どこか、休むところはないですか」と訊く。
すると、職員は、「そこ、椅子があるから」と言い、階段の踊り場近くにある椅子を指さして、まるで早く帰ってくれといわんばかりに、そそくさと机に戻った。

【一年前には、耳がちゃんとあった。】

それでとにかく、踊り場近くの椅子にしばらく座っていたが、具合はどうですか、と様子を見にくることもなく、時間ばかりが過ぎていく。なので、もう一度カウンターまで行き、例のトラブルメーカーである、地域猫の会のリーダーに知られると騒ぎが大きくなるだけだから、せめて内密に、と言っているそばから意識が遠のいていった。

気がつくと、床に倒れこんだらしい私を、何人かの人たちが取り囲み、様子を窺っている。
脈を計ったり、熱を測ったり・・・。
そのうちに誰かが救急車がもうじき着くからといっているのが遠くに聞こえた。
「いいえ、もう大丈夫です」そう言っても、なかなか体がいうことをきかない。
意識は戻っても、体に力が入らない。体の重心が定まらない感じなのだ。

そのうちに、救急隊員がきて、救急車に運ばれた。
中にはドクターが待機していて、いろいろな機器で体を調べられ、手足がちゃんと動くことを確認されたり質問がされたりし、そのうちに、ドクターは安心したのか、いなくなり、あとは看護師がフォロー。
誰かの、「市役所と喧嘩して倒れたんだって」と言う言葉が耳をかすめた。

すごい救急車だなあと、意識が戻った私はまわりの機器を見回して、連絡先や保険証のありかなど、矢継ぎばやの質問に答えるが、以前に乗った時があった救急車よりもはるかに乗り心地がいいことに驚いていた。
これが噂に聞くドクターカーなのだろうかと。

私の意識のない時間は、3~4分ほどだったらしい。
そのあいだ、心臓とか脳とかはどうなっていたんだろうか。

病院に着くとさまざまな検査がされて、一応、たいしたことはないという結論が出たようで、無事に家に戻ることができたが、なんだか今でも、あの記憶も意識もない数分間の空白のあいだ、体はどうなっていただろうかという疑問が消えない。

それにしても、お役所の対応はひどすぎると、今でも思い出すたびに意識がまた遠のきそうになる。
そうこうしているうちに、シロの病状が進むが、一度失敗したあと、遠ざかった距離は縮まらない。
治療しながら、ジイジという名の猫と一緒に古民家でひなたぼっこの暮しが待っているというのになあ、シロにはどうして伝わらないのかなあ。

私が、病院から家に戻った時のミーナ。「ごはん、早くしてよ」と言う顔で待ちくたびれていた。
ごめん、ミーナ。このごろほったらかしで。

ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。
購読料はかかりません。アドレスが公開されることはありません。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!