ときには怒りを

怒ると老けるよ、と言った母。グサッと刺さって、それからは怒るまいと自分をいましめて暮すようになった。そのせいだけではないが、今では怒るということがほとんどなくなった。

でもこのごろ、思うことは、やはり怒ることを忘れてしまってはいけないということ。なにか理不尽なことをされたときには、怒ってもいいんじゃないかと考えるようになった。

おとなしい性格のチビも、ときにはこんな顔をした。

「惨めったらしく、うずくまるのはやめろ! 泣くな、絶望するな、そんなのは今することじゃない。怒れ!」
これは、アニメ、鬼滅の刃に出てくる富岡義勇が主人公の丹治郎に放つ言葉。物語の序盤の方に出てくる。
「鬼滅の刃」は登場人物のセリフに力があって、落ち込んだときに励まされる。

情けないなあと思うのだけれど、自分を振り返ってみても、怒るべきときに怒ることができなかったということが多かった。
仕事上のミスを同僚になすりつけられても、黙って叱責されているだけだった。

selective focus photo of grey cat
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それどころか、あとでその人に抗議をしたり問いただしたりすることもできなかった。それでいつのまにかミスは自分のせいになることがふえ、結局、会社を変わった。

でも、そんな性格を治さなければ、どこに行っても同じような目にあうわけで、誰も守ってはくれないのに、自分を守ることすらできなかった。

a close up shot of a sleepy cat
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そんな自分を救ってくれたのは、猫かもなあとこのごろよく思うのです。捨てられていた猫たちを保護してから、生活が一変。猫を中心に回るようになり、ひがな一日、猫の様子を眺めていても飽きないようになって、心がゆったりと癒されていった。

猫に関わるようになって、30年。猫のためならと人間関係までも変えるようになった。頭を下げたくない相手にも近づいて理解をしてもらい、とくに、古墳の丘に捨てられていたチビまる子を守るためには、弱気な心を奮い立たせたものです。
悪意のある人には抗議もし、市役所にも交渉もしたりと、自分にこんな力があったのかと驚いたものです。

古墳の丘にいた頃のまる子 行くのが遅くなると怒るそぶり。でもすぐにご機嫌になった。

やればできるじゃん、と少し自分に自信が持てるようになりました。でも、チビもまる子も今は落ち着いて、そばに三毛子はいるものの、なんだか気が抜けたようにぼうっとしているうちに、感情まで萎えていたみたい。

ところが最近、あることに出逢って久しぶりに怒りを覚え、あっ、こんなときには怒ってもいいんだよなと思ったのでした。もちろん、そうならないほうがいいに越したことはないのですが、でも、自分をごまかして、いい人ぶっていたら、結局、ツケはあとで自分に回ってくる。

三毛子はこれがお気に入り。爪とぎはもっぱらこれでしている。

明るく、和やかに、前向きに・・・。それはとても大事なこと。でも万能ではない。寿司のワサビのように、ぐっと心を引き結び、怒りを表明することも大事。このごろそう感じるようになった。

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