暖かい日が続いて彼岸が近くなり、人々がほっとしていると、急に寒が戻って嵐のようになったり、雪が降ったりする。
こんな状態のことを、郷里の八戸では「彼岸じゃらく」という。
中学の同窓生からの連絡によると、きのうはその「彼岸じゃらく」だったそうで、雪掻きで大変だったらしい。
たしかに、暖かな日が続いているときに寒さがぶり返すと身に応えるもので、「じゃらく」という言葉からは、いかにもそんな感じが伝わってくる。
そしてそれは、つらつら考えてみると、なんと、日常のことにもあてはまるんですよね。
だって、ちょっといいことがあってウキウキしていると、突然なにか不穏なことがやってくるものじゃない? で、そういうこともあろうかと備えをし、準備を怠らないような賢い人は別にして、自分はそういうタイプじゃなかったから、そのたびにドスンと奈落の底に落ちてしまった。
それでもどうにか這い上がり、調子が出てくると、喉元過ぎれば熱さ忘れるで、また浮わついてくるお調子もので、それでまた、ドスン。
そういう意味では、「じゃらく」は何度も襲ってきたわけで。
まあそれでも、どうにかこうして暮らしている。
おもしろうてやがて哀しき・・・。そんな言葉が身にしみる日は、猫を見習い、とりあえずは居心地のいい場所を探して「じゃらく」をやり過ごす。
そんな生き方は親からみると、なんとも不安であったろう。心配をしてくれるその親も今はないし。そう思っていたら、なんと、免許の更新に行って撮った写真が母にそっくりだった。まるで亡霊みたいに。
えっ、私ってこんなに母に似ていたっけ? いつのまに、こんなに老けたんだ?
べつに日々、鏡を見ていないわけではないが、いつもの場所ではないところで撮る写真は、欠点をさらけだすものでして。
自問しているうちに名前を呼ばれてカウンターに行くと、交通安全協会とやらの会費も必要とのこと。確かにこれまではなんの疑問も持たずに一緒に払ってきたのだが、なにか無性に拗ねたくなってきて、それは強制的に払うものですか、と尋ねてみた。
すると、そうではないが、皆さん、だいたい払ってますと言う。
ふいに、数年前、言いがかりとも思えるような曖昧なことで交通違反の切符を切らされた記憶が蘇った。
あのとき私は警官に、「こんなことに目くじら立てないで、もっと悪質なやつを掴まえたらどうなのよ。そこらじゅうにスピード違反だの、信号が赤なのに平気で突っ込んでくるのいるじゃないの」と反論したんだっけ。
すると、いきり立った警官と口論になり、気づくとまわりに人だかりができていた。あの警官、ほんとのことを指摘されたんで、だからあんなに興奮しちゃったんだよね。
そんなことを思いだし、あのときは納得のいかないことで結構な金額を支払ったのだからもう十分だろうと考え、ちよっと今回はそちらはやめときますと言って、車に戻った。
そうして、新しくなった免許証をしみじみと眺めながら考えた。
そうか、母にそっくりになってきたのなら、鏡を見て、ときどき自分で自分の母親になってやればいいじゃん。
冷たい雨が降る彼岸じゃらくの日、そんなふうに納得して帰り、いつものように洗面所に行き、鏡を見ると、「そんな前のことなんか気にするもんでねえんだ」と鏡の中で母が叱っているようだった。
うん、そうだね、母さん。そう言って台所に向かい、夕食の支度にかかったのでした。