辰つぁんは、私のじいちゃん。たぶん、私のことを一番かわいがってくれた家族。大家族で両親はいつも忙しかったから、私は、じいちゃんやばあちゃんに育ててもらったようなもの。
じいちゃんはいわゆる遊び人と言われるような人で、道楽が好き。といっても、博打のようなものではなく、馬。馬の売り買いに関わって、ちょっと危なげな男たちともつきあっていた。
そんな人たちから、じいちゃんは辰つぁんと呼ばれ、慕われていた。しょっちゅう家に集まっては酒盛だ。そして、酒が過ぎて、辰つぁんは脳梗塞で倒れ、半身不随の身に。
少し前のブログ記事で、願いを叶えるドライブというのを書いた。そのあとで、ふっと思いだした。そういえば・・・。
何年も寝たっきりで動けなかった辰つぁんを耕運機に乗せて走ったのも、あれも、ドライブだよなあと。
私が高校一年のときのことだ。女子高だったが、どうしてもなじめなくて、しょっちゅう学校を休んでいたある日、ずっと寝たっきりだった辰つぁんがつぶやいた。「外に出たいなあ」と。
ちょうどリンゴの花が咲く季節で暖かい日のことだ。風もなかった。すると、そばにいた母が私に言った。
「なあ、じいちゃんを耕運機に乗せて、走ってやるべし」
その日は父は仕事でいなかった。いたら、きっと、そんなみっともないことをするな、と許さなかっただろう。ばあちゃんも町にでかけていなかった。私はまだ免許を持っていなかったが、耕運機の動かし方は知っていたし、たまに運転もしていたから馴れていた。なにより、田舎道に警官などはいないし、よほどのことでもなければ、パトカーもこないような土地なのだ。
よし、と私は決心し、農機具小屋へ行き、耕運機を庭に出した。そして、荷台を後ろにつないだ。それから、母と二人でどうにか辰つぁんを荷台に敷いた布団の上に座らせた。母が辰つぁんの肩に毛布をかける。そうして荷台に紐で辰つぁんを固定した。
準備ができて、耕運機のエンジンのスターター紐を何度も引っ張り、エンジンをかける。すると辰つぁん、馬に蹴られて片頬がえぐれた頬をゆるめ、喜んだ。
ゆっくりゆっくり坂道を降りて県道に出た。たまに車が通るだけの道は、たいして運転技術もいらない。道なりに走るだけである。天気がよく温かい日差しに、辰つぁんは気持ちよさそうに眼を細めて、ふっふっと声をだしていた。
脳梗塞になって以来、寝たっきりになっていた辰つぁんは、外に出ることも動くこともできない。動けなくなってから初めて外に出た辰つぁんは、あづましいなあ、とつぶやいた。あづましいとは、気持ちがいいとか、気分がいいとか、そういう意味で、辰つぁんは気持ちよさそうに空をみあげて、眼を細めていたのだった。
そのころ、よく猫が我が家のそばに捨てられて、子供を産んでいたのだが、辰つぁんが、布団のそばに置いて愛でていたカナリアのことを心配するので、父が川に流していたように思う。母猫が生んだばかりの子猫を銜えて、厩の二階に運んでいくのをみかけたものだが、あれは、母性本能だったろうか。
私が猫に対して気持が揺れ動くのは、きっと、そのころのトラウマによるものかもしれない。