昨日、今年初めての梅の開花を見た。
どうということもないことでも、寒空に向いて咲く花を見ると、ぽっと心があったかくなる。
そして、数日前には、初めて火渡りを実際に見た。
そんな日々のなか、ある電話があって、しばらくはなんで? という疑問に心がざわざわした。
スマホのラインには、電話機能もついている。
けれど、一度もやりとりをしたこともない相手からの電話がかかってきたので、戸惑った。
間違い電話かなと思ったが、アカウントを見て、覚えがある人の名前が浮かんできた。
それで、切ることができなかった。
相手は何も言わず、じっとこちらの様子をうかがっている気配がする。
こちらは何度も返答を促すけれど、相手はなにも応えない。
それで切ってしまったが、ざわざわした気分は消えなかった。
それから数日して、同じ相手からまたかかってきたが、やはり無言のままだった。
それで、ラインつながりで辿って調べてみたら、想像していたとおり中学時代の同窓生で、しばらく私の隣の席だった人にまちがいなかった。
あの人は、なぜ、何も言わない電話をかけてくるのだろうか。
電話をかけなおそうかとも考えたが、それほど親しくもなかったから、できなかった。
そんなことがあってから一月ほどたったころ、その人が亡くなったということを知った。
郷里の友人からの知らせだったのだが、彼女の話によると、彼はもう何年も人工透析を続けていたらしい。
彼は最後に何を伝えたかったのだろう。
私以外の人たちにも電話をかけていたのかもしれないが・・・。
中学の時の同窓生だったその人とは、たまに、学校帰りに話をする機会があった。
彼はわりあい成績もよくてカッコよく、目立つ存在だったが、私とはとくにどうということもないまま、高校は別になった。
高校を卒業したあと、私は郷里を離れていたから、同窓会などにはあまり出席しないほうで、ひさしぶりに出た40代の頃の同窓会がその人に会った最後だった気がする。
同窓会の帰りは数人の仲間と一緒でわいわいしていたが、彼はめずらしく黙りがちに後ろを歩いていた。
そして別れ際、みんなから遅れて歩いていた彼が、「ごめん」と私に声をかけたような気がして振り向くと、「おれ、おまえにさあ、意地悪なことばかり言ってたよなあ」という。
それというのも、中学の頃の私は赤面症で、ちょっとしたことですぐに顔が赤くなる体質で、その人は、そんな私を見ては笑いながら、ひどい言葉ではやしたてていたのだった。
そんなことがあったものだから、彼が亡くなったということを知ったとき、私は、とっさにおまえには意地悪なことばかり言ってたなあとつぶやいた彼の言葉を思いだした。
そのことを気にしていたのだろうかと。
私を笑いものにしていたその人だったが、一番後ろの隣りの席だったせいもあって、ときには思いもかけないこともした。
教科書を忘れた私に自分の教科書を渡してよこしたり、前から順に送られてくるテスト用紙が足りなくておろおろしていると、自分の分を私に渡し、教師のもとに取りに行ったりと・・・。
私にしてみれば、どっちが彼の本質なんだろうかと疑問になったもので、亡くなったと知らせてきた友人に事情を訊くと、その人は、家族にも生活にも恵まれて、はためにはいわゆる幸せな人生だったようだ。
そういうことであれば、ときおり見せた、彼のあの大きな瞳の空洞は充分に満たされていたのだろう。
そう思うとなんだかほっとして、幸せだったんだね、よかったね、という気持になっていた。
なぜかというと、彼はときおり、教室で暴れることがあったからだ。
大きな体で机や椅子を放り投げ、大声を出して荒れることがあった。
周囲は恐怖を覚え、誰も彼を止めることができなかった。
あの頃の彼は、なににそんなに苛立っていたのだろう。
あの大きな瞳の深い空洞はどこからくるものだったろうか。
なんだか最後まで人騒がせなやつよなあ、と私は、その頃の記憶を小さく折りたたんで手を合わせた。