心がエンプティ

秋のしつらい。ドングリは古墳の坂道に落ちていたものだという。

ひさしぶりに、まる子に会いにきませんか?
もちろん、行きます!

まる子ママに誘われて行ってみると、彼女の部屋はいつものように可愛いものでいっぱいだ。いつもながら、みていてとても楽しくなる。

私の友人、Sさんが作って送ってくれたコースターをさしあげたら、彼女はあちこちにセンスよく活用している。こんな部屋にいたら、心がエンプティになっていてもだいじょうぶそう。まして、そばにまる子がいるんだもの。

これと同じ爪研ぎ、三毛子もお気に入り。

ガソリンのメーターがEを示しているときと同じように、心のエネルギーもエンプティに落ちているときがある。もうこれ以上は動けないよと、弱音が出てしまう。

そんなときには、こんな部屋にいてゆっくりとコーヒーでも飲みながら、まる子と一緒に遊べたら、きっと満タンになるのも早いかもしれない。

中学時代の同窓生で、ときどき素敵な写真を送ってくれるKさんが、ブログをみて、ちょっと張りきりすぎじゃないかというメールをくれた。エネルギーがエンプティにならないようにという忠告も添えて。

そのメールをみて、いやいや、まだまだ大丈夫だよ、と思っていたのだが、このところさすがに疲れが出てきたらしく、気持がエンプティのところでうろうろ。

チビの捕獲に失敗したことのショックが大きい。あんなに足許でまったりとしていたチビなのに、いざとなると激しい抵抗をした。野良にとって捕まることは死を意味することだというから、きっと本能的に抵抗したのだろう。

チビは見かけによらず手強かった。 落ち着くまでしばらく時間をおくことにして、つぎの作戦を考えながら公園をいききする毎日。 すると、池のそばのフジバカマの花にアサギマダラが止まっているのが眼に入った。 渡り鳥のように、渡りをする蝶だ。

去年、掛川でみたものよりもなんとなく元気がない。 それも、たった一匹。 ああ、おまえもエンプティ?  長旅に疲れてしまったのね。 つい、そんな言葉が出てしまった。

そしてきのう、同じ場所に行ってみると、もうアサギマダラの姿はなく、虫取り用のタモを持った子供やその親らしき人がうろうろしていた。しかも、ほかにも似たような人が。

春にきていたカワセミ

木の葉に埋まって身を隠しているカブトムシの幼虫を乱暴に掘り返し、何匹も捕って行く人、カワセミがいれば、無遠慮に近づいて写真を撮ろうとする人たち。生きる営みを壊し、静かに眺めることができない人たちだ。

坂道に珍しい花が咲いていると、つぎの日にはもう無惨にも折られている。家に持ち帰って活けるのならまだしも、すぐそばの道端に捨てられていることもある。猫に悪さをする人。蝶や虫がいれば、捕獲するか踏みつけることしか頭にない人。きっとそういう人たちは、心がエンプティどころか、とっくに干涸らびているんだね。

この公園にアサギマダラを呼ぼうとして、フジバカマを植えた人たちの思いがようやく実ったというのに。
この公園にはもうこないほうがいいよと、カワセミもアサギマダラもほかの仲間に、信号を送っているかもしれない。

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