おじさんと呼ぶのはやめて、と言っていた人、お兄さんと呼ばれるようになって、近頃は犬連れのお姉さんたちと名を名乗りあい、それぞれ固有名詞で呼ぶようになった。みていて、なんとなくほほえましい。それに、今日は○○さんきたかな、などと、たがいにそれとなく心待ちにしているような雰囲気も出てきた様子。
公園で会うだけの人が名乗りあうのはめずらしいこと。それで、あの人、ほら、黄色いシャツをよく着てる人とか、杖をついている人とか、なんだかいつも威張っている人とか、いろいろと説明されたりしても、なかなかぴんとこない。
けれど、ときには自分から名前を名乗ってきて、あなたのお名前は、と訊いてくる人もいる。そういう人に出会うと、もちろん自分も名前も言いながら、距離が近くなるのを感じる。
でもたいていは名乗りあわないから、たとえば、でこぼこコンビとか、おしゃべりマンとか、ダイエットねえさんや速歩女子とか、それとなくニックネームがつく。印象をニックネームにするから、誰かと話すときにも、ああ、あの人、と不思議なくらいにわかる。
そのダイエットねえさんだが、丘の坂道で初めて出会ったときには、かなり体重が多そうだったが、あえて回り道をし、相当な距離を歩いているようで、あれよあれよというまにどんどんスマートになってきて、みんな驚いている。
あの人、ウェストくびれてきた、すごい変化だね、などと噂される。そんなことを言ってはいけないと思いつつも、うんうんと自分も一緒に頷いている。
オイチニのお姉さんはとてもユニーク。歩くときに、オイチニ、オイチニ、と声に出しながら丘の上までやってくる。そうやって声に出すとリズムがとれて歩きやすいからだという。その効果が表れてきたのか、当初はとても遅い歩みだったのが、このごろはずいぶん速くなってきた。自分も真似してやってみたら、確かにリズムがとれる。
けれどもきょうはなぜだか、いつも会う人たちに会えなかった。そんな日は少しさびしい思いで坂道をおりる。すると、坂道の正面に黄みがかった大きな月がみえた。
「今度の満月は、中秋の名月と重なる、珍しい月なんだって」と誰か、月をみあげて立ち止まっている私たちを追い越していく人が、声をかけてくれた。
「来年の今月今夜、再来年の今月今夜、あの月をぼくの涙で曇らせてみせる」
明治時代の有名な小説のセリフがふと浮かび、自分は来年も再来年もこうしてこの坂道を毎日登っているんだろうか、と思った。行き交う人々は、この5年のあいだにかなり変わったというのに。
それにしても、おじさんからお兄さんになり、○○さんと名前で呼ばれるようになった人をここのところ見ない。明日あたり、またあの張りのある声で、やあ、しばらく!と声をかけてくるかな・・・。