あっちの水は甘いぞ

【夕日を受けて染まる山を映し出す池】

ふびん、だと言われて、ちょっと嫌な気分になったことがある。
相手はかわいそうだと思い、同情してくれたのかもしれないけれど。

なんだか、寂しげだよね、と言われることもあったから、きっと影が薄いのだろう。

だから、なるべく、前を向いて顔をあげて歩くことにした。
なのに、ふじ子を見ていると、なぜか、ふびん、ということを考える。

【なんとなくさびしげな背中のふじ子】

アズキは容貌が優れているわけではないけれど、わりとみんなの関心を集め、良くも悪くも手を出してくる人が多い。
それにくらべて、ふじ子のほうは、あまり関心を呼ばず、なんとなく寂しげだ。

アズキは、推定、15歳くらいのシニア猫。
たぶん、公園の猫たちの中でも一番のおばあちゃん猫だろう。

公園とはいえ、野良でこの年まで生き延びたのだから、それなりの知恵を持ち、用心深い。
けれど、気を許せる人間には、ちゃんと撫でさせてやり、ゴロゴロと喉を鳴らして甘えてくる。

だからといって、いつもそうなのでもなく、そのたびに態度が違うから、振り回されるこちらは飽きることがない。
一方、ふじ子の方は、7、8歳くらいかというところ。

【そばで、将棋をさすおじさんたちにもかわいがられているアズキ】

餌をくれる人にだけ甘えるが、それも相当慣れないと、なかなかスリスリもしてくれない。
そして、きわめて面白いのは、近くで食べるアズキの餌を自分のと比べることだ。

「あっちの水は甘いぞ」
とばかりに、ふじ子は、ちらちらとアズキの餌を気にしながら私の顔を見る。

「アズキはバアバだからね、柔らかいのしか食べれないのよ。だから、あなたはカリカリで我慢してね」
そう言ってなだめると、しかたなさそうにしてカリカリを食べ始めるが、やはり、ちらちらとアズキの方をずっと気にしている。

【左ふじ子 右アズキ】

それでも、ちょっとふびんになって、チュールをサービスすると、ふじ子はまたたくまに食べてしまう。
なので、あっけないし、やった甲斐もない。

一方、アズキはといえば、ゆっくりと、柔らかなささみとかカツオとか食べる。
そして、食べ終えると、もう用がないとばかりにさっさとお気に入りの場所に立ち去ってしまう。

取り残されるふじ子にも、少しアズキの食べるものを分けてやるが、それもあっというまに食べてしまうから、なんだか、つまらない。

【食べ終わっても、心待ち気にして柱にスリスリするふじ子】

そんなふじ子を見ていると、子供の頃に、おいしいものやめったに食べられないお菓子などをきょうだいで分け合って食べるときのことを思い出すのだ、

あっちのほうが多いなあとか、いいところがこっちよりもあるとか、ちらちらと見ながら食べたことを思い出すのだ。
テーブルの上に分けられたご馳走をみると、つい、どれが大きいかしらなどと比べていた。

ふじ子をみていると、まるで幼い時の自分をみているようで、ちょっとふびんになる。
それで、アズキが誰かに餌をもらったらしくて食べそうにない時には、ふじ子に与える。

するとふじ子は、とてもうれしそうにたいらげて、そうして、もじもじとするような態度で、しばらくそばにいる。
そうして、もうこれ以上なにも出ないようだと見極めると、後ろ姿も寂しげに立ち去るのだ。

【ふじ子がアズキが潜む山に案内してくれた】

けれど、先日、アズキの姿が見えない時に、ふじ子に「ねえふじ子、アズキのいるところに案内してよ」というと、ちゃんといつもアズキが潜んでいる山の方へと歩きだした。
ふじ子は、少しふびんだが、賢い子でもある。

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