これがいいの? それとも、これでいいの?
子供の頃、なにか買って貰うときなどに、そう訊かれてよく迷ったものだ。
「これでいい」と私は答える。
子供心に、値段が高いのをねだってはいけない気がしていた。
そんなときに、つい、これでいい、と言ってしまう。
あっちのほうがいいよって、言いたいんだけどなあと思いながら。
親たちが祝いの席に呼ばれた日などは、その帰りが待ち遠しい。
そういう時には、必ず祝いの品を持って帰るからだ。
ふだんはあまり食べられないような菓子などが、子供たちの前に並ぶ。
そんな時にも、私は妹たちの顔をみながら、眼をつけた菓子が妹たちに先取りされやしないかとハラハラしている。
喧嘩では対等な妹たちだが、そういう時には自分は姉ちゃんなのだという意識が、にょきっと顔をだしてきて、先に手を出しにくいのだ。
案の定、狙っていた菓子に妹の手が伸びて、目の前から消えてしまう。
残った菓子を見て、「これでいい」となる。
妹の口に入る菓子を見ては、これもいいよね、とはなかなかならない。
おとなになっても、その性格は変わらずに、集合写真を映すときにも一番後ろの端っこだったし、なにをするにも列の後ろに並ぶようなありさま。
なぜ、これがいい、とはっきり言えないのだろう。なぜ、前に出ないのだろう。
ずっとそう思っていたけれど、でも、ある時に気づいた。
これは、遠慮などというものではなく、単に弱いからだって。
あれよりもこっちがいいんです、と言い切るにはそれなりの風当たりがともなう。
風当たりを避けようとしているだけだということに気づいた。
身のまわりにあるものは、たいてい、自分が選んだものだ。
これでいいと思って妥協して選んだものも、これもいいじゃないとか、これがいいんだよ、と思えば、愛着が湧いてくる。
いつもそう思えるようになれたら、幸せだな。
今年は、そんなふうに過ごしてみよう。