この素晴らしき日に

桜の開花と自分の誕生日が重なるこの季節、これまでは、なぜか結構辛いことが多かった。
そのせいか、春の光がまぶしすぎ、まわりがまぶしすぎ、桜から眼をそらして歩くことも多かった。

ところが、である。
人生は、良くも悪くも、一筋縄ではいかないもののようです。

このたびの誕生日は、これまでの75年間の中で、一番すてきな日になったのだ。
ツイッター(X)上で、今日が自分の誕生日だと公表したところ、それまで交流があったフォロワーさんたちから、あったかいメッセージがたくさん届いたのだ。

そのうえ、「歌舞伎町の野良猫たにゃと僕」という本が出版されてベストセラーになり、話題を集めた「たにゃパパ」さんが、「花猫の会」の記事を拡散してくれて、これまで見たこともないような「いいね」の数になり、眼を疑うほどで・・・。
この調子だと、花猫の会の寄付も集まるかもしれない。

ネット上とはいえ、こんなふうにいろんな人からおめでとうと言われるなんて初めてで、想像もしていなかった出来事に呆気にとられ、そのうち胸にじんときて、「あたしの人生も、存外、捨てたもんじゃないわさ」とつぶやいて、満ちてくる温かさにしばし浸っていた。

人って、過ぎていく冷たい風のようなものだと、いつからか、そういうふうに思い込むようになってしまっていた。
がっかりするのがいやで、他人にも自分にも期待をしなくなってからだいぶたつ。

それが、たくさんのメッセージを読んでいるうちに、ふっと、それ違うよ、と思った。
なんて、損な生き方をしてたのよ、がっかりしたっていいじゃないのと。

今日の喜びが明日の朝、すっかり冷めていたって大丈夫。
その喜びの感覚はちゃんと体に残っていて、なにかのときに、また火を起こしてくれるよ。

ほんと、なんて損な生き方だったんだろう。
もっともっと喜んだって笑ったってよかったはずなのに。

いまさらだけど、これからはちゃんと喜んで、ちゃんと期待して、ちゃんとがっかりして生きていこうかな。
だって、そのほうが絶対、面白そうだし、少なくも退屈ではない。

温かいメッセージをくださった方々にありがとう。
なんとかここまで生きてきた自分にもありがとう。

ここまで生きてきたから、こんな素晴らしい日に出会うことができたのだから。
経済力も何もないくせに、家なき猫たちを放っとけないのだって、たぶん、自分のことのように思えてしまうから。

でも、あの子たちは嘆くこともなく、飄々と日々をこなしている。

いろいろあって、それも自業自得だと悟り、諦めたころになって、ちゃんとご褒美は出るもんだね。
だから、人生、やめずにやっていけるんですね。

人はただ過ぎて行く冷たい風ではなく、小さな縁の触れ合いを結ぶ間柄。
それを教えてくれた誕生日に、これから先は余生ではなく、むしろ、しだいに開けて行く気がしたのです。

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