身近な、ある人の変化に驚いている。5年前に初めて会ったときには、とても控えめで自分のことをあまり主張しない人に思えた。なのに今は、自分の考えをはっきりとあらわすようになり、しかも行動するようになった。
生き物をとても大切に思う人でもある。それゆえチビとまる子がいる丘で出会った。猫のことだけでなく、公園の蛍がいる場所、コゲラ(キツツキ)や他の鳥たちのこと、池にいる生き物など、蓮花寺池公園のことなら、たいていのことを知っている。なので、わからないことがあれば彼に訊ねることにしている。
昨日も、公園では、夜に薬剤散布があるということで、彼は動いた。薬剤散布がされる予定の桜の木にコゲラが巣をつくり、なかで雛を育てているからだ。農薬などかけられたら、コゲラが苦労して幹に穴をあけ、中で卵を温め、ようやく雛を孵したというのに全滅である。公園にくる人たちから、コゲラのつがいは、蓮花寺池の蓮をとって、蓮くんと蓮ちゃんと名づけられ、親しまれているのにだ。
薬剤散布のことを知って、彼と私、ふだん、チビまる子にかかわってくれている仲間と一緒に市役所に行った。そうして、事情を説明し、わかってもらった。その結果、その付近の薬剤散布は避けるように業者に伝えてくれるということになった。
だが、夕方、帰りがけにコゲラの巣のある木をみると、なんの目印もされていない。これではどの木にコゲラがいるか、夜に散布する人にはわからないだろうなあ、大丈夫かなあ、と不安になってくる。それで彼は、夜、蛍を見にまた公園に戻るから、そのときにはいるはずの業者さんに確かめてみるといってくれた。
それからしばらくして、彼からまたメールがきた。薬剤散布の業者さんと話ができたようで、コゲラの巣がある樹木周辺の散布は避けてもらうことを確認したという内容だった。
私は私で、日頃なにかと、古墳の丘の猫のことで助けて頂いている市役所の方にメールをした。そうすると、その方は、夜にもかかわらず担当者に確認をとってくれた。たかが小鳥の巣なんかで、といえば、それまでのことだ。なのに、何人かの人たちが動いてくれたのだ。
けさはさっそくに、彼からメール。コゲラ、元気に餌を運んでたよう~。
なにもせずに、どうせだめだよ、と諦めてはいけない、なにかを守るということは、そういうことなんだってことを今回は知ったわけで。
5年前、丘の上のチビとまる子に出会い、猫を通じて彼のことを知った。猫のことでたまに話をするくらいの関わりだったのが、午前中に彼がチビとまる子の餌やりをしてくれるようになってから、状況の連絡をとりあうようになった。夫が心臓のカテーテル手術のため、私が餌やりに行かれなかったとき、自分の鼻の手術で入院したときなど、彼は午前と午後、通ってくれた。とても助かった。ありがたかった。
こうした仲間たちや、保護猫団体の人など、猫を通じての知り合いがこの数年でいくつか生まれた。猫の恩返しかなあと思う。小さな命を守るために、彼はずいぶんと変化したが、人と関わりあうのが面倒だった自分も少し変わった気がする。ほんのわずかなことしかできない自分に苛立ちを覚えながらも。
富士の雪はほぼ融けた。これから、本格的な夏。丘の上のヤブ蚊、蛇、マダニ、巨大なムカデなどとの戦いが始まる。ワアッ、という自分の悲鳴に驚く季節がいよいよやってくる。