ぼくの行く道をみていてください。

年賀状のことがそろそろ気になるシーズンになると、きまって思いだす言葉がある。
ある年、ある人からの年賀状にあったのは、「ぼくの行く道をみていてください」。
うん? これってどういう意味?

これから進学をするとか、就職するとか、そういう年代ではなく、中年期のまんなかにさしかかっていたころだったから。
これからいったい、なにをするというのかな?

まあ、いつもほがらかなあの人のことだから、またなにか面白いこととか、お金儲けでも考えてるのかなあ。
と、そんなふうに捉え、気になりながらも、電話もしなかった。
前の年に、建て替えた家での家族写真を載せた年賀状をもらっていたこともあり、あまり深くは考えなかった。

そして、その年の夏ごろだったろうか、その人が癌で亡くなられたという連絡を頂いた。
ぼくの行く道を見ていてくださいね。
あの言葉の意味は、そういうことだったのかと知り、愕然とした。

その人とは、山形県の長井市の催しで、環境問題の先進国、ドイツへ行く使節団の一員として知りあった。
現地でホームステイをし、あちこち回る日程のなか、ときには観光も兼ねての旅行だった。
ホームステイ先も彼と同じだったから、よく話をするようになった。

ちょっと背が低かった彼は、みんなで記念写真を映すとき、かなりの爪先立ちでポーズを取った。
そして、愛嬌のある顔に笑みを浮かべてジョークを発し、せっかくすまし顔をしているまわりの人たちの顔を崩してしまうのだった。

亡くなったという知らせを頂いたとき、真っ先に思いだしたのは、写真を映されるときの爪先立ちのポーズと剽軽に笑っている顔。

その旅行はちょうど今頃の季節。11月の初めごろで、向こうでは、厳しい冬がくる前の穏やかな小春日和の日々だった。
ドイツでは、ゴールデンサマー、という季節。

石畳の道が続く街並みを、このころになるときまって思いだす。
「ぼくの行く道をみていてね」という言葉と一緒に。

ドイツのスーパーでは、ウェストが1メートルもあるスカートを売っていて、道行く人々も大きかったが、道でみかける猫も大きかった。
サイズを間違えて買ってしまった上着はぶかぶかで、朝晩の寒さ凌ぎにはなったが、どうみてもおかしかった。

その人は使節団の、個性の強いメンバーたちの調整役のような存在だった。
私が大阪に引っ越してからも、秋になると、自分の手で収穫した新米を送ってきてくれるような律儀な人。

なのに、自分は感謝の気持が足りなかったと、今、そう思うが、もうその気持は伝えることができない。

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