探しものはなんですか?

1999年の夏、ちょうど今頃の季節に「夢の中へ」という井上陽水の歌がはやった。
その歌の中にあったこの歌詞が、いっとき流行語になった。

探しものはなんですか?
探すのをやめたとき、みつかることもよくある話で。
という歌詞に、とても惹かれたものだ。


井上陽水の歌には、デビューした当初から惹かれていた。
それまで聞いたことがない曲調に加えて、その歌詞に衝撃を受けたものだ。

好きな歌だから、今でもときどきよく口ずさむ。
とくにこのごろは、違う意味で口にする。

なにか探しているのに、途中でなにを探しているのかわからなくなることも出てきて、そんなときに、「探しものはなんですかあ・・・」とつい出ている。あれっ、なにを探してたんだっけ? となる。
井上陽水には申し訳ないが、今では全然意味が違ってしまったのだ。

そして、けさは妙な夢を見て眼がさめた。
夢の中には、必死に探しものをしている自分の姿があった。
場所は以前に住んでいた大阪で、大阪城が見えるビルの中。
小さな犬を連れている私は、大阪城のライトアップされた姿を捉えようとカメラに夢中になっていた。

そのうちに、そばにいたはずの犬がいなくなっているのに気づいて、あわてて探し回っている。
ビルの中を探し、姿がみえないので外に出て、ビルのあいだの路地や通りなど探してみるが、いくら名前を呼んでも姿がみえない。
それでしかたなく元の場所に戻り、せめて一枚、ライトアップされた大阪城を写そうと思った瞬間、ライトが消えてしまったのである。
結局、かわいがっていた犬もなくし、撮りたかった写真も撮れず、呆然としている自分の姿に眼が覚めた。

【光の加減で、あたりが一瞬、モノクロームになる。】

そしてはっとした。いつもなにか探していたような自分の姿に。
ここにはない何か、ここではない何処か、をずっとずっと求めていた気がする。

それはそれでエネルギーになっていた。思いもかけないようなことにも出会った。
なのに、そんなものを掴もうとしても空しいということに、ある日気づく。

夢の中に出てきた、小さなかわいい犬は、みつからなかった探し物を象徴しているのだろうか。
それとも、今ここにあるものを愛しなさいという意味だったのかな?
それにしても、とてもかわいい犬で、プリンという名前だった。

不思議なのは、猫ではなく、犬だったこと。
そして、プリンという名前は、昔猫の黒猫の名前だった。
もしかすると、最近、思考がこんがらかっている私に、プリンが犬の形を借りてなにか教えにきてくれたのかもしれない。

【プリンは、家の裏の林の中で、いつも草むらのなかで動くものを探していた。】

それにしてもだ。まさか、探し物をしているのに、何を探しているのかもわからなくなるなんてこと、あの歌を初めて聞いた時には想像もつかないことで、笑えるような、かなしいような・・・。

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