まる子、古墳の丘から里親さん宅へ行って、二ヶ月がたった。食欲はあいかわらずで元気そう。すてきなテーブルだね、まる子。
三毛子は、朝方は庭で遊んでいた。暑くなって家の中に入って寝た様子。なので、こちらも安心して、つい昼寝。しばらくして眼がさめたら、姿がみえない。ドキッ! またなにかしでかしたな。そう思って二階にかけのぼると、案の定、どこにもいない。階段近くの窓の網戸が少しだけあいていた。
その窓の下には屋根がない。一階部分の、ほんの小さな軒がわずかに張り出しているだけで、相当な落差がある。いくらなんでもこの高さから飛び降りることはないだろうと思っていたが、やられてしまった。三毛子との攻防は、果てしない。
このごろは外に出ても、朝の散歩程度で終わっていたのに、餌やりのために公園にでかける時間になっても帰ってこない。探しに行くと、やっぱり例のお宅の玄関前で涼んでいた。
チュールで釣りながら、三毛子を帰るように促していると、道の向こうから、とても気になっていた人が歩いてくる。コロナワクチンを打つためにかかりつけ医に行ったとき、順番が私の前だった人だ。
ワクチンを打ったときは言葉を交わすことがなかったが、その人の佇まいに人を惹きつけるものがあって気になった人だ。他の人たちはみな、こわばった顔をしているなか、ほほえみを浮かべていた。注射の順番がくるとカーディガンを脱ぎ、華奢な肩を出した。渋い色のワンピースの小花模様が浮き出て、ちょっとドキリとした場面だった。
三毛子に帰ろう、と声をかけてもさっぱり帰ろうとしない。抱えることはできるが、するりと抜けて逃げる。家に帰ると閉じ込められると思っているのだ。諦めて、その人と話しながら一緒に歩きだすと、思いがけず、その人の暮らしぶりがみえてきた。
「猫が、どうかしたの?」
「ええ、猫を連れて帰ろうとしてるんですけど、だめですね。」
「ああそう。でも、猫ってそういうものでしょ」
昔からの知りあいのように優しく話しかけられたので、うれしくなって私のほうもいろいろ話しながら、一緒に私の家の前まで歩いた。
「夕方の散歩なの。一人暮らしだから、誰にも気兼ねいらないし」
そう言われ、てっきりご主人を亡くされたのだと思って尋ねると、思いもかけない答が返ってきた。
「ほかにね、お好きな方ができて、今はそちらに」
さらりと言ってのけて、ふふふと笑っている。
言葉が出なくて、黙っていると、
「私の人生、案外とおもしろいのよ。今はとても楽しいの。今度また話しましょう」
別れぎわ、そう言って去って行く後ろ姿を見送りながら、自分がその人に抱いていた印象がずいぶん違っていたことに気づいた。てっきり、その人はとても恵まれていて、夫や子供や孫たちに優しく接してもらっている人なのだろうと思いこんでいたからだ。そうでなければ、あんなふうにいつもほほえみを浮かべていられるわけはないと。
いろいろあるほうが、おもしろいのよね。と言ったその人の言葉を自分に照らし合わせ、ふわっと、霞のように、明るい空気が広がった。そして、自分が抱いていたその人への思い込みが、いかにも通り一遍だったことにも気づいた。
さまざま、ワクチンにも問題がわきあがっているが、二回目のワクチンに行けば、またその人に会えるわけで、渋いおしゃれをしてくる彼女と会うのが楽しみだ。
チビも素敵なおとなになった。最近は、午前中の人たちのファンの取り巻きができたらしい。まる子の代わりになって、まる子のようにならなければいいが・・・。ある人は、ジャニーズ系のイケメンだという。みんな、猫にかまっている暇があるということなのか、それとも、寂しさを抱えているということか。