まるで、森の精のような大木。古墳の丘へと続く道にあって、この丘を見守るように立っている。
草刈りが終わった古墳の丘。生い茂っていた草の中にいた小さな虫たちが、急に行き場を失ってうろうろ。そんな虫たちを狙い、鳥たちが舞い降りてきて、それを狙うヘビもまたそろりそろり出てくる。さらには、ヘビを狙うチビもいて。自然界の食物連鎖が繰り広げられる。
猫にとって、ヘビは格好の相手。野生がめざめる。じつはこの石、私が直前まで座っていた石。ぼうぼうの草がなくなったといい気分になり、チビとのんびりと空を眺めながら座っていたら、突然、チビが動いた。思わず私も立って後ずさった。
これまでの経験から、チビが突然に動き出すときにはヘビがいる。ということは、私の足許にヘビがいたということで・・・。危ない、危ない。
あわてて出てきたヘビをチビが追いかける。わりと小さめの、まだ子供のヘビで、ちょっとかわいそうになる。
だが、チビに眼をつけられたら、ちょっとやそっとでは逃げられない。
そしてそれを持ち上げる。
持ち上げたら、今度は放り上げる。
そして、地面にたたきつけるようにして落とす。それを何度も繰り返す。やられるヘビはたまったもんじゃない。ときどき死んだふりなのか、びくとも動かない。もちろんチビはそんなことにはだまされない。
猫は、飽きるのも早い。さんざん遊んだあとは、何事もなかったような顔で毛繕いなど始める。あとで調べたらヘビはシマヘビという種類。毒は持っていないそうで、一安心。シマヘビさんもごちそうを狙って出てきたら、とんだ災難にあっちゃったというわけですねえ。人生というか、ヘビ生にもどんな災難が待ち受けているかわからない。
山形にいたころは、昔猫のマロンも、よくヘビをくわえて、家の中に持ち込んできた。そんなこととは知らず、テーブルのところに座ると、テーブルの下からヘビが頭を出してきた。慌てて飛びのくと、ヘビは畳の上を這いずり回る。大きなヘビで、いざってあとずさり。夫は仕事に出ていて、家の中には誰もいない。叫び声をあげたところで、誰もこない。
その時ふっと浮かんだのは、昔、祖父がリンゴ畑にいたヘビを捕まえたときのこと。たしか棒に巻き付けさせていたっけ。急いで外に出て外ホウキを持ってきて、ホウキの柄を出すと思ったとおり、ヘビは巻きついた。ヘビもきっと行き場を探していたのだろう。そのまま外に出て裏の水路の上にかざすと、ヘビはするっと滑り落ち、ゆるゆると水面を泳ぎながら流れて行った。
それからも、たびたびマロンはヘビをくわえては持ち帰ってきた。そして得意げな顔で私にみせようとした。しかし、マロンが年をとっていくにしたがって、ヘビの大きさは小さくなっていった。
かたやプリンは、しょっちゅうネズミやモグラをくわえてくる。食べるわけではなく、しばらくオモチャにして遊ぶのである。オモチャにされる小さな生き物が気の毒だった。しかもぷいと飽きてまた、新しい獲物を探しに出て行く。あとに残されるものを片付けるのは私なのだ。こういうときはさすがに、猫に文句を言いたくなった。なんでこんなに殺生を重ねるのだと。
古墳の丘に五年も暮らしていたまる子だが、こちらは野生の気配は少しもないようだ。オモチャのネズミで十分に満足しているみたいだ。
まる子は、やっぱり癒やし猫だったんだねえ。丘の上からまる子の姿が消えてから、下からのぼってこなくなった人たちもいて、丘の上は以前よりも静かになった。そのせいか、まる子とセットのようにして一緒にいたチビの姿も、なんだか以前よりも小さくみえる。
でも、まる子は留守番にはまだ慣れていないようで・・・。飼い主さんが長時間留守すると、こんな顔になるそうだ。
丘の上にいるときのまる子は、猫好きな人に撫でられて、みんなをもてなしていたからねえ、きっとひとりぼっちには慣れていないんだろうなあ。