昔、東海道五十三次の岡部宿があった場所の奥に、玉露の里というところがある。そこに、瓢月亭という、粋なしつらいの茶室がある。とても静かなところで、広々とした庭に、その茶室はあった。
侘び寂びの風情の門を入り、進んでいくと、入り口はこんなふう。
あとで聞いたが、いたるところにある丸い形は、月をあらわしているのだという。
玄関には、瓢箪の中に月の満ち欠けが表されている沓脱石。
そして、大きな瓢箪が玄関の奥に。それでもまだ気がつかず、玉露のお茶を頂いてから、説明を聞いて、ああそうか、瓢箪と月で、瓢月亭なんだと、名前の由来がわかって納得。お茶を頂いた和室の障子の細工がすばらしい。
満月
半月
山に登る月
壁に埋め込まれた瓢箪。柱のツルの絵は、あとから書かれたもの。
庭にみえる石も瓢箪の形にくりぬいて、写真ではわかりにくいが、右下の部分が三日月になっている。回り廊下に出てみると、池と遠景が見事だ。月が昇ってくる山もみえる。
作法もろくに知らないままにお茶を頂いたが、世間とは隔絶した世界に身を置いていると、俗っぽい考えが浄化されるような気がしてきた。
さまざま、よけいなことが削ぎ落とされていくなあと思いながら、外に出ると、ちょうど中国からの観光客が団体で押し寄せてきた。急に現実に押し戻されるようにしてそこを出ると、ちょっと変わった花が咲き乱れていた。
少しのあいだ、澄んだ気持になっていたが、そばの茶店の看板に出ているソフトクリームをみると我慢ができなくなり、つい・・・。
現実というものは、なかなかに手ごわい。これからチビまる子のもとへ行くんだからと自分に言い訳しながら、注文したが、運ばれてきたもののボリュームにびっくり! だが、ボリュームのわりにはそれほど甘くなく、添えてある抹茶をかけると、これがいいあんばいで。
お茶というものは深い。茶室の風情や作法も奥深い。なのに、意志というものはなんと浅いことか。甘いものを控えなくてはならないというのに。まる子の気持がよくわかる。