しあわせみつけ隊

この頃の古墳の丘からみる空は美しい。上を向き、空を見上げるだけで、いい気分になれる。

最近、まる子とチビの見守り隊ができたということを、午前中に行ってくれている人から聞いたときは、ちょっと半信半疑だった。これまでの経験から考えると、そのうちに飽きてこなくなる可能性が高いと思っていた。

【古墳の上に広がる空】

それがけさ、いつも午前中に行っている人から連絡が入り、まる子を一度病院に連れて行かないかという話が出て、見守り隊の人たちが力を貸してくれるという。
まる子には持病がある。それが原因で捨てられたのか、それとも、子供が生まれそうになったので捨てられたのか、きっと、そのどちらかだろう。

まる子は、肛門のあたりがいつも汚れている。ひどいときにはまわりが腫れて痛そうだ。それはもうずっと気になっていたことだ。

【坂道にある一本桜】

だが車の通行が止められている坂道を下まで運ぶのは無理に思われて、これまでは、獣医師に話を聞いてもらい、処方してもらった薬を飲ませたり、塗り薬を塗ってやったりすることしかできなかった。

もちろん猫は、薬を飲んだり塗られたりするのを極度に嫌がる。気配を察しただけで逃げ回る。それでもなんとか好きな餌に混ぜてやって飲ませ、隙をみては薬を塗ったりしていたのだが、気休めのようなものである。

このごろはもう、まる子を病院に連れていくのをすっかり諦めていたのだが、見守り隊の提案で、みんなで知恵や力をだしあえば、なんとかなるんじゃないかということになった。

それで急に話がまとまり、午後からまる子を病院に連れて行く作戦に入った。まず、まる子は重すぎてとても人の手では運べないから、見守り隊の一人が家にあったという手押し車を持ってきて、一人はケージを持参。私は大きめの選択ネットを持って行った。

まず、まる子がよくなついている人が革手袋をつけてまる子を捕まえ、私がネットでくるむ。そしてケージに入れて、手押し車にロープで固定した。途中で暴れて飛び出すことが一番懸念されることで、それを防ぐためだ。

【池のまわりの桜もみるみる咲きだした。】

急な坂道を降りていくのは大変だったが、意外にもまる子は声をあげることもなく、暴れることもなかった。駐車場から病院までのあいだにも、まわりを眺める余裕があり、車慣れしていた。飼われているときにも車に乗っていたんじゃないだろうか。

病院での診察時にもおとなしくて、されるがまま。なんといい子なんだろうかと、かえって切なくなった。結果はそれほど深刻なものではなく、処方はこれまでと同じだったが、症状の理由がわかっただけでも、大きな不安は消えた。

きた道を戻り公園の坂道を登るときも、見守り隊の女性が手押し車で押して行ってくれる。考えてみたら、なんと、彼らは朝にきて、午後から手押し車を押して古墳の丘まで登り、そしてまる子を乗せてまた登るわけで、もう三度目だ。

そしてようやくまた一団は古墳の丘まで戻り、まる子はぶじ解放となった。

まる子は、いつもの場所に戻ってほっとしたのだろう。しばらくうろうろしていたが、そのうちに毛繕いをはじめた。

まる子がいないあいだ、チビがどうしていたかといえば、案外とおちついていたようで、ただ、いつもいる場所から離れなかったという。きっとまる子を待っていたのだろう。

まる子の病院行きは見守り隊の援助もあって、思っていたよりもずっと、スムースに運んだ。もしも、彼らが今日のことを言いだしてくれなかったら、私はあいかわらずウジウジと、まる子を病院に連れて行けないことを思い煩い、深刻なものだったらどうしようかと悩んでいたことだろう。

彼らのことを、そのうちに飽きてしまうだろうと考えていた自分が恥ずかしくなった。チビまる子を巡る、嫌なできごとがけっこう重なったこともあってか、いつのまにか、あまり人を信じなくなっていたこと、がっかりするのがいやで、なにも期待しなくなっていたことも反省した。信じられるということは、人の心を癒やし、救ってくれる。

自分にとって、今日、手をさしのべてくれた3人の人たちは、しあわせみつけ隊でもある。自分一人で背負わなくてもいいしあわせと、あったかい手をさしのべてくれたしあわせと。今日は、感謝に浸って眠ろう。

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