ようやくの秋

カモとサギがなかよく水辺で。町は祭りも終わり、静けさをとりもどした。3日間響いていた「ヤレヤレヤレヨ!」という掛け声も消え、何度も打ちあがるのろしもおさまり、夏の終わりの熱気はようやく立ち去った。

ケンもバテ気味だったが、長く続いた暑さもおさまって、まわりも秋の風景。

富士もときおり顔を見せるようになった。

3年に一度という祭りだが、運営には費用がかかる。昔は茶で栄えた町も、今は、それほどの豪商もなくなり、寄付が集まらなくなったと運営にかかわる人が嘆いていた。

効率やコストを求める時代に、でも、古いものも静かに息づいていて、そういうものを眼にすると、心が穏やかになる。

昔のものはその時代を眼の前に引き連れてきてくれる。私が生まれたころ、家はまだ茅葺の屋根で、遠野物語に出てくるような、母屋と厩(うまや)が土間で繋がっている家だった。物置になっていた厩の二階には、祖母が嫁入りのときに持ってきたという、大きな長持が置いてあった。

祖母は昔話を私によく聞かせてくれたもので、雪の降る日、馬が引く幌つきのソリに乗って嫁に来たのだという。雪の降る日は視界が悪く、ソリに鈴をつけて居場所を知らせながら走るので、馬が動くたびに鈴がシャンシャンと鳴り響く。その音が頭にずっと残っていたのだという。

孫の私から見ても、自由奔放な性格だった祖母にしてみれば、嫁に行くということは家に縛られるということを意味したのだろう。

厩の二階で、猫が子供を産み、子猫を銜えてはしごを降りてくるのを見たことがある。母猫は誰にも邪魔されないところで子供を産み、そうして、育てやすい場所へと移動したのだろう。そのころの私はまだとても小さくて、猫の可愛さよりも、不思議なものをみている気がしたものだ。

そしてもちろん、こんなふうに猫と関わることになるなんて、考えてもいなかった。

祭りのあいだ、たびたび響くのろしのせいか、姿を見せなかったチビも姿をみせて、お腹が空いていたらしく、よく食べた。ブラッシングして撫でてやると、ゴロゴロとのどを鳴らす。初めは近づくのさえ怖がっていた猫なのにな。

少し涼しくなったので、家の中の整理を始めた。気になっていた洗面所を模様替え。私の洗濯基地だ。無印良品と百円ショップで買ったものを合理的(?)に並べてみた。壁や洗濯機ラックにかけたハンガーネットには、バスタオルなどもちょいがけできる。乾いたら、ツッパリ棚の上にたたんであげておく。

タオル類も下着もパジャマもみんなここにまとめたので、動線が少なくてすみ、とても便利。茅葺の家に住んでいたころとは比べようもないけれど、ときおり、氷柱がさがった屋根と、庭の柿の木の前にいつもいた馬のことを懐かしく思いだす。

近所の柿も、色づいてきた。

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