いつもより少し早めに家を出ると、ちょうどケンが公園の出口に向かうところ。会うといつも引き留めてしまうから、飼い主さんに悪いなあと思い、距離をとってやりすごそうとしたら、やおら、引き返してこちらに向かってくる。それでおやつタイムとなり、ちょっと遊んだ。
ついつい振り返ると、しばらくケン座りのまま、こちらをじっと見ている。やんちゃでおもしろい犬だ。とくに気持が萎えているときには、カンフル注射みたいに元気を注入してくれる。
よく会うおじさんが種を撒き、育った西洋アサガオが、まだ坂の途中に咲いている。背の高い杉の木にからみつき、たくましく伸びている。
昨年よりも22日遅く初冠雪した富士。雲にサンドイッチされて、全貌はついに見えなかった。
家を出たのはいつもより早かったのに、坂の上についたときにはもう日が暮れかけていて、チビとまる子はいらついているみたいだ。
考えてみれば、こうして毎日この坂をのぼるのを日課にしてから3年が過ぎた。初めは、ただ避妊手術を終えたまる子のことが気になって、少しの間だけでもと思っていたのが、こんなに続いてしまった。
誰かが書いた記事にあった。犬や猫、動物たちがひどいめにあっているのをみるほどつらいことはないと。口がきけず、弱い立場にあっても、けなげに生きているからと。どうも、私もそのようだ。それで、先がみえないまま、ずっと続けている。
ひさしぶりに晴れて、町は夕焼けに包まれ、おだやかだ。
雲はブラインドのようになって、富士を隠したまま。
丘の上はまだ明るさがあっても、坂道をおりるころには暗くなっている季節。懐中電灯が欠かせなくなった。坂道に生い茂る木々のあいだから、町の明りがちらちらとみえ、暖かそうな光に誘われてどこかの店に入って行きたくなる。
こんなときには、温かいな灯がともる窓辺で、マッチを何本も擦るマッチ売りの少女のことを思いだす。昔の童話は悲しすぎたり、残酷すぎたりして、なかなかに手ごわい。
いつも坂の入り口あたりで出会う家族連れがいる。障がいを持っている人をまんなかに、お父さんとおかあさんで手をつなぎ、にぎやかに話をしながら歩いてくる。温かな情景に心満たされる。すれちがうときに、明るい声で挨拶をしてくれ、暗い道にポッと明りがともるようだ。