月はどっち?

三毛子の探索はどんどん広がり、なかなか帰ってこない。ノラたちの集団の中で育ったから、そちらに戻ってしまう不安があったが、それはなさそうで、腹がすいたりくたびれたときはやっぱり帰ってくる。

外は危険だらけ。でも、好奇心を抑えられないの。

どうやら、隣りの家のモモとは相性がいいみたいで、ときおり、つかず離れずの距離を保ちながらそばにいる。朝出て、ちょいちょい帰ってきてはまた出て行き、だいたい、2時か3時頃にご帰還だ。そのあとは外に出さない。

猫は夜行性だというけれど、猫に月はみえるのだろうか。昨日から今日にかけては満月。なのに、公園の見晴らし台からみる空は曇り。なかなか月が出てこなかった。2日がかりで月を撮ることにして、どうやら撮れたのだが・・・。

隣りには、三脚を持った本格的なカメラを装備した人が、出てくる月を待ちかまえ、二台を設置し、自動シャッターを切り始める。話をしてみると、以前に星を写しにきた人のようだ。仕事のリタイア後、本格的にカメラに向かうようになったのだという。

10月1日の月

10月1日は、蓮華寺公園の見晴らしの台のところから。2日の日は、なかなか出てこないのであきらめて下に降りて車に乗ったころに出てきた。あわてて月が見えそうなところまで走った。

10月2日の月

月を追いかけて車で走るなんて、どうかしている。そう思ったけれど、なんだか、中途半端に出ている月を見ると、つい追いかけたくなってしまうのだ。

昔は、明け方の赤い月を見るのが好きだったけれど、今は寒い冬の煌々とした月が好きだ。

山形にいるときの月のイメージは、煌々として頭上にある月。冷えが厳しい夜には、裏の林の木々の幹が割れる。幹の中の樹液が凍って、膨張するからだ。

なにかの叫び声のような音が明け方に響くとき、胸が締め付けられるような気がしたものだ。自分の声を代弁しているように聞こえることもあった。

ものみな凍る土地で生まれたから寒さには強いはずだったが、木が裂ける音は聞いたことがなかったから、一人の夜のときには、骨身に染み入った。

おむすびな月

あの寒い土地で見た月はみるからに凍てついていたが、この土地で見る月はどこか優しげだ。ちょっとぼんやりして、とぼけている。

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