満開の桜の坂道

坂道の山桜が満開になった。坂口安吾という作家の小説に、「桜の森の満開の下」という小説があり、その中に、山賊が、満開の桜の下の坂道を、強引に奪った美しい女を背負ってのぼる印象的な場面がある。けれど背中の女はどんどん重くなっていく。

女に魂を奪われた山賊は女のいいなりになり、都に行ったり、また戻ったりする。最後は、二人とも桜の花びらに埋まっていつのまにか消えているという物語だ。ほかにも、梶井基次郎という作家は、「桜の樹の下には屍体が埋まっている」という、あまりにも有名な文章も残した。

たしかに、夕暮れにほの白く浮かび上がる桜には、気持があやうくなりそうな不気味さがある。小説の山賊も満開の桜の下を通るときは、以前から妖気を感じ、急いで通り過ぎていたのだった。

丘の下の坂道ではまる子が待ちかねていて、一緒に上まで歩く。チビはいつもどこかに隠れていて、ひょいと出てくる。そして、あとから走って追いかけてくる。

ここの丘に登る前、駐車場のあたりでは、動物たちが今日の役目を終えて、車に搬入されるところにでくわした。日曜日とあって、動物たちとのふれあい展というのがあったようだ。

このふくろうは、ことちゃんという名前だそうだ。かわいいが、ちょっと気の毒な感じもした。鳥には空が似合うといったら、あたりまえすぎて、なにも始まらないかもしれないが、つながれた鳥にはやはり哀れを感じてしまう。

うさぎやモルモットも。動物たちもお仕事を終えて、ほっとしているところかな。でも・・・? まあ、ぜいたくを言えばきりがないか。

なんとなくすっきりしない気分で、丘への坂道をのぼりはじめたら、坂道の満開の桜に眼を奪われた。上まで行ったら、今度は、富士山も雲を映して、桜のように妖艶な顔。

月もまた、加減がいいようで・・・。少し欠けたぐらいのがちょうどいい。子供のころ、暮れた空を桜越しにみあげると、紺色の空に吸い上げられていきそうな気がしたものだ。

帰り道はまだまだ寒い。こんな夜は、自前の梅酒でも呑んで温まることにしよう。呑むと陽気になって失敗したこともいくつかあるけれど、まあそれも人生だから自分を許すことにしよう。 

 

 

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