三毛子を外に出さないかわりに二階やベランダに出るようにしたら、いつのまにか屋根に出ていた。
夜露で湿った屋根の上で滑り、ずるずると落ちて行く。あっ、落ちると思った瞬間、三毛子は雨どいに片脚を突っ込んで体を支え、滑りながらも這い上がってくる。
慌ててはしごを屋根にかけたが、降りようとせず、ものめずらしそうに屋根の上を歩き回っていた。そのうちにようやく降りてきて、よしっ、とばかりにさっそくどこかへ遊びに行った。再びの閉じ込め作戦は彼女の勝ち。
それでこちらも一工夫してベランダの一部をふさいだのだが・・・。今度は風通しのために少しだけあけてあった、階段上の窓をこじあけたらしく、また外に出ていた。屋根から物置の上に飛び移り、地面に降りたようだ。
しばらくすると、かなり大きなネズミを捕まえてきて、家の中で転がして遊びだす。こっちは後始末にてんてこまい。三毛子、過激すぎるんではないでしょうか。
さんざん外で遊んだあとは、古い洗面器や私がいつもかぶっている帽子の上で昼寝だ。昔猫のプリンとマロンも、いろいろなことをしでかしていたものだが、これほど過激ではなかったような気がする。
このところ、毎日三毛子に振り回され、こちらはノックアウト。くたびれて、公園の坂を上るのもふうふう言いながらである。
その点、古墳の丘で暮らすチビとまる子は、車の事故にあう心配はなく、雨や寒さをしのぐ手立てを覚え、街中のノラにくらべれば安全だ。
チビもよく育ったものだ。ビクビクしてばかりで触れることもできなかったのに、近頃は余裕すら感じる。
車の事故で亡くなった横浜時代の友人は、私よりも少し年上だったが、飼っていた猫を亡くした時に鬱になった。そのころの私は、日頃の彼女の強気な態度を考え、「えっ、猫が死んだくらいで?」などと、無神経なことを考えていた。
それで、いつも彼女を中心にして集まる4人の会は、しばらくは3人になった。年長で、過激な発言も多かった彼女のいない集まりは、ちょっと力が抜けて気楽といえば気楽だったが、大事なねじが抜けてしまったように、なにか物足りなかった。
だが、今なら彼女の気持がわかる。自分たちは本当のことを話していなかったのではないのかとそんな気もしてくる。楽しいことや面白いことばかりを選んで話し、たがいに相手の気持に踏み込むのを避けていたから。
私もそのころは、ドジな三枚目の役柄を演じていたように思う。(実際、ドジなのはまちがいないけれど)自分を出すのが怖かったからだ。けっこう素のまんまの自分でいられるようになった今、彼女と話すことができたら、あのころよりもずっと楽しいだろうに。ときに、過激な言葉を遠慮なく発する彼女が、今いないことが残念でならない。