花道

丘の上へと続く坂道で、弔いの花束を持って歩く人に出会った。ここで亡くなった人がいたのだろうか。ふっと、後ろをふりかえると、白い花束はツツジの植え込みにさしてあった。

最近そういった話を聞いたことはないので、管理の人に確かめてみると、4月の初めにここで倒れて亡くなった人がいたそうだ。

朝だったというから、その人とはきっと会ったこともなかったろうが、それにしてもと、なんとなくぼんやりとまる子を眺めているうちに、以前に親しかった友人のことを思い出していた。そして彼女にここのこ桜をみせたかったなあという思いがわきあがってきた。私は、神奈川の大船というところにほぼ二十年住んでいたが、そのころに親しくしていた人だ。

もう7年も前のことになるが、彼女の訃報を息子さんから受け取ったときは、桜が咲く少し前のころだった。あまりにも突然で信じられなかった。鬱ぎみだとは聞いていたが、まさかという思いで呆然とした。車の運転をしていて、どこかの壁に激突したのだという。

その少し前、暖かくなって桜が咲くころになったら会おうという話を電話でしていたのだった。私はまだ静岡に引っ越してきてまもなくだったから、雑事に追われていた。なぜ、どうして、電話をしたあのときにすぐに会いに行かなかったのだろうとひどく後悔した。

彼女は私よりも五歳年上。はっきりと物言う人で、てきぱきと物事を運べる人でもあった。私がなにか仕切らなくてはならない立場に立った時には、要領の悪い私をみかねて、手際よく力を貸してくれたものだった。他人に弱みをみせない人だと思っていたら、初代の飼い猫が死んだときにはひどく落ち込んで、しばらく外に出ようとしなかった。意外な一面をみて、さらに親しみを感じたものだ。

彼女は潔い生き方をよしとしていて、変なことをする人には容赦がなかったから、そのぶん風当たりも強かったろうと思う。笑い話のように、よく、最後の花道をいくときは笑っていたいと言っていた。そのとおり、白い花に包まれたその顔はほほえんでいた。顔に深い傷がなかったのが幸いだった。

いま、丘への坂道は、花の道。風に舞い落ちる桜が、道を染めている。

開花が遅かったぶん、咲き始めたら一気に進み、きょうはもう花吹雪。たまっていたエネルギーが爆発した感じに咲いている。彼女も含めて、先に逝ったものたちへの至らなさに後悔はいろいろあるが、もうそれも花吹雪に流してやろうと思う。

先日、イチロー選手は引退の会見で、一片の後悔もないと言いきった。聞いていて、少し違和感を覚えたが、やれるだけのことをやったときは、たしかに後悔はない。彼はきっと、努力の限界を超え続けてきたのだろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

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