占いってあたるの? いにしえの世から、国を司る人物たちは、占い師に指針を問うことも多かったという話をきく。きっと占いには不思議なパワーが宿っているのかもしれない。一人ではどうにも決めかねるときに、こっち、と言ってくれるのだとしたら。
【花の数だけいのちがあるよ。といっているような花たち。】
新聞の人生相談を読んでいると、ときどきはっとすることがある。以前に読んでいた新聞の人生相談に答えていた人は占い師で、相談者にはっきりとしたことを述べるということで、読者に人気があった。
【雨模様の日、坂道の鈴蘭水仙に水滴がつき、とてもきれいです。】
そのころの自分は不安に取り巻かれていて、なにかの指針を求めていたところだったから、その占い師に相談してみようと予約を入れた。行ってみるとそこは、意外にも事務所のように簡素な部屋で、壁には、芸能人と一緒に映っている写真が何枚か貼られていた。
【茶店のそばの、シデコブシ】
与えられた時間は20分。アドバイスを期待して事情を話してみた。けれど、希望に繋がるような言葉はもらえなかった。「あなたは、過去に選択するべき道をまちがえたのだ、その前に相談にきてくれればこんなふうにはならなかったはずだ」という。
そのあとは、どんなふうにして帰ったのか,あまり記憶がない。ぼうっとしてなにも考えられなかった。相談に行く前よりもさらに落ち込んで、自分の人生はもう取り返しがつかないのだという思いにさいなまれた。
【坂道の脇には、ツバキやシャクナゲなども咲いています。】
占いをしてもらったら、いいことだけを覚えておき、後は忘れなさいとは、よく言われることだ。だが、そのときの私は、なにかいいことを言ってもらったような記憶はなく、忘れようにも忘れられなかった。
人生の偏差値、低すぎるんだ、と気づかされ、それまで生きてきた日々のまちがい探しの深みにはまっていたある日、ふいに気づいた。【禍福はあざなえる縄のごとし】ということわざもあるんだし、まあ、辛抱強く暮らしていれば、そのうちにはいいこともやってくるべさ、と。
【例年どおり、山桜も咲き始めました。】
だって、人生には100点満点なんかないのだから、偏差値が低かろうが、べつに生きてる価値がないわけじゃなし。すると、状況は少しずつ改善されていったり、いっそ切り捨てることになったりしておちついていった。
結局、てっとりばやく誰かに依存しても解決しないということだ。結果的には、そのときの占い師は私にそれを教えてくれたことになる。
中国の逸話にも占いの話がある。とても当たるという評判の占い師が、将来性のある若者をみて、あなたはとても優秀だが早死にすると言った。若者はそれでもやけを起こさずに精進に励んだという。そうして事を成しとげ、占い師の言った年齢をはるかに超えて生きたという。
【まる子のへそ天】
いっときは「占い」という文字をみるたびに、寒気を覚えるような気がしたものだが、毎日、こんなふうにまる子たちと接していれば、そりゃあ、たいていのことは笑いとばしてしまえるようになるというものです。
まる子はよく、うちのおじさんのあとをくっついて歩きます。三毛子はどちらかというと、私のほうが好きみたいで、トータルすると公平です。あっ、でもチビはまるっきり私。なので、おじさんはちょっとひがんでいます。
そんな些細なことで笑える日々があるなんて、思ってもみないことでした。雑草にまぎれて誰にも気づかれない、小さな花のようなものですが。
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