風の冷たい日が続いている。それでも、日の当たるところにはぬくもりがある。ふとみると、石の上でまる子がうとうとしていた。つねに人が通る場所では、なかなか昼寝というわけにもいかない。でも、私たちが一緒のときは安心しているようだ。
そばでチビは、うろうろ。石の上にのぼったりおりたり、かくれんぼしたりと忙しい。春の日差しは、野良の猫にも優しく降りそそぐ。
桜も開花し、風がなければ春うららというところ。会う人ごとに、風が冷たいねえという言葉が出る。でもあちこちの桜は一気にあたりを桜色に染めている。
じつは、この季節を好きになれない時期があった。なぜか桜の時期になると大きなことが起き、向き合わなくてはならない現実は厳しくて、華やかな桜を楽しむ気持になれなかったことが何年も続いた。
けれどそんなときにも、かたわらの猫はのんびりとひなたぼっこをしながら毛づくろいにいそしんでいた。つらいときは人が集まる場所には足が向かないもので、用事のないときにはほとんど家の中で過ごしていたが、日のあたる場所で猫のふんわりとした背中を撫でていると、気持がやすらいだ。
そばで眠っている猫の呼吸、やわらかな腹部の規則的な動きを眺めていると、こんなふうに、どんなときにものんびりと間のぬけた顔をして普通にしていれば、それでいいんだなあと思えた。他人の見る目や思惑などに振り回されずに。気づけばいつのまにかそうなっていたけれど。
昨年の台風にやられ、切り倒された木にも、みれば、なんと新芽が出ている。絶望のあとに芽吹く希望のように。ゆっくり大きくなってほしい。今年もまた台風はやってくるだろうが、やわらかな若芽ならきっと大丈夫だろう。道沿いの樹木の新芽は心ない人にへし折られたりもしているが、人が近づけないところならそんなことも起きないだろう。
まどろみからめざめたまる子は、カラスに接近中。でもまる子は、カラスに馬鹿にされている。というか、まるで相手にされていない。
逃げられると、まる子はきまり悪そうに、なにかほかのことをしてごまかそうとする。猫にはたしかにそんなところがあって、つい笑ってしまう。そばに密生する小さな紫の花の、すっと伸びた立ち姿が美しい。
足もとのタンポポにも、小さな虫が息づいている。
やっぱり春はいいものだなあと、思えるようになった。桜を見ると息苦しくなることもなくなった。猫もまわりの花々も、咲き急ぐ桜もいとおしい。